| 2012年12月06日(木) |
覚悟と理由がいる踊り |
別府永久劇場では混浴温泉世界開催中、毎週スペシャルゲストが来ていました。 3回?くらいは見に行ったかな。 ここでわたしはおそろしいダンスを見ることになりました。
〜これを見れただけで別府に来た甲斐があった〜
元ストリップ劇場、そこに集まる者はみんなエンターテイメントを求めているのでした。 どうやらそれは理屈じゃありません。 みんな現実から離れて、余興を楽しみたいのです。 この劇場はそんな場所でした。
ところが黒田育世さんや北村成美さんはそんな空気をぶちのめします
この二人は日本コンテンポラリーダンス界の草分けのようなパイオニアです。 北村さんとは面識ありますが、黒田さん本物を見るのは初めて。 その力は圧倒的でした 特に黒田さんのダンスは大変興味深いものでした。 エンターテイメントが求められる劇場で踊るのはまったくお客に媚びないダンス。 カラダを殴りつけ痛めつけたり、叫んだり。 相手は観光客ですよ?? おおよそ、見て気分がよくなるものではない種類です。 観光客に痛ましいダンスを見てもらえるには“目を離せなく”しなければなりません。 唸りましたね…
全身のカラダの張り、緊張感からくるリアル
苦しくておぞましいもの。 そのダンスからはまったく希望を見出せません すごかった、最後までそんな感じでした ただ、わたしが感じたのはこのダンスが“暴力的だ”というものです わからない人をわからせる、力で捩じ伏せるダンスだと感じました これこそがプロの力だと言えます すべてを壊してでも踊るという意志 その力は本当に強大でした だけど、だけどどうしても納得できない、したくなかった
わたしたちが生きているということは、一方通行じゃあないはずだ
見せ方、ダンスのあり方としてはまったく理解できます。 すべては良し悪しじゃないこともわかっています。 だけどどうしても怒り、激情がわいてくるのです。 今から考えるとそれは個人的な葛藤からきていたのかもしれません。
自分も同じくらい踊れるのか、という不安 あらゆるものを敵にまわしても踊りたいのか、という意志 見てもらいたいものはダンスだという観点
この元ストリップ劇場であんなダンスが踊れること自体に驚いたのです (ここで言う“ダンス”の性質は技術的な踊りとはまったく異なります) 会場は静まりかえりました あれだけ集中力を強いられるのは何かを全力で伝えようとする意識からだと思います 宣伝では楽しく踊っている写真が載せられていたのでそのように考えていました、が どうやらそうならなかったのは黒田さんが東北に行ってからではないか?、 と終演後、芸術祭運営関係者の知人から聞きました。 ウソか本当かはわかりませんが、聞く限りまったく納得がいきます。 最後まで希望を踊らなかった理由 希望は見つかりませんでしたがそのカラダからは生きる強さを感じるのです どんなに打ちのめされてもカラダには生きようとする力があるように見えた 強さがカラダに内在しているように見えたのです
わたしだったら最後は踊りを変えます 最後まで一貫して絶望を踊りたくない
あのダンスを踊りきるには相当の覚悟がないとできないのではないかと思います もし事象を踊っていたとするなら一方通行こそがリアルだからです
|