| 2012年11月11日(日) |
清水久勝&まゆみ「Wood & Wool」 |
4年前、わたしは清水まゆみさんたちと一緒に一つのダンスを踊りました。 それは鉄の巨大モニュメントを舞台に配してのダンスシフトでした。 『間と間の間(に)』 構成/演出 東野祥子 そう、12/1・2本番『Void the Fill』の構成/演出と同じトップです!! そんなまゆみさんから展覧会のお誘いがありました。 タイミングはおそろしくそろっていた わたしが連日でかける理由十分すぎですよw
清水久勝&まゆみ『Wood & Wool』 ◎同じ会場では16年ぶりの夫婦2人展◎ 会場:やすむらコレクション2nd
まいさん(まゆみさんの通称)はフェルト作家です☆ 代表作フェルトの仮面をはじめ、あらゆるフェルトアクセサリーを製作。 フェルトバッグや猫ポーチ、フェルトクリスマスブーツは想像を絶する可愛さです!! 3年ぶりの対面でしたw また会えたというだけでしあわせを感じます 別府もそうですがもう会えなかったかもしれない事実は大きな気付きをもたらしました
即hugですw
まいさんはこの展の主宰ですからここで個人的な長話はできません。 次から次に人が訪れるんですからw 活動の年季を感じました。 こんなに人が来てくれること わたしはまだ真の意味で復活していない、と思い知りました。 もちろん目の前のことに挑む毎日。 しかし未だ自分が自分自身の行動をまだ起こしていないのに気付いたのです。 挑むことだけをしていてはダメだとおもった
先へすすまなくちゃいけない
会場ではまいさんの親友・神田さんを紹介してくださいました。 神田さんは長崎から来られており、まったくダンス界のひとでしたw
話は無尽蔵につづいて終わらなかった
気がつけば閉館の時間!! なんてこった― しかし有意義でした。 神田さんと会うためにここに来たのかもしれない 神田さんはわたしの身の上を案じてくださいました そしてそのまま進みさえすればいいのだ、と背中を押してくださいました 後日、神田さんから手紙が届きます。 「沢山のエネルギーを頂きました、スイッチが入った感じです」 有難い話です。 中には小冊子も。 その内容はわたしと同じように突然不自由になったひとのこと そしてその不自由を自分のものにしたひとの言葉でした。
「有難う」という漢字を見たら「難」が「有る」
わたしにも人に言えない、個人的につらい不自由なことがあります。 でも、それを人に伝えたところでほとんど何の意味もないことです。 それでも一人くらい知っていてほしい、受け容れてほしい、と願う自分がいます。 ところがわたしの周りにいる人はわたしを応援してくれるがゆえに許されないのです それも、その応援が本物であるほどに一方的になる それに心が折れることがあります たまらなくなるときがあります ここには要求しかない、身勝手だ、そう陥ってしまうときがあるんです わたしだって人間です 思い通りにいかないことのほうがほとんどなのです しかし、そんな言葉にも有難うと言うこと どんなに理不尽で酷い言葉にも 言ってもらえることがどんなことかわかっているからです
「ありがとう」の語源は「有り難し」です。 「有り難し」というのは、「有ることが難しい」「ありえないこと」という意味。 「こんなことが起きるのは、めったにない、ありえない」 「こんな奇跡を起こしうるのは、神しかない」という意味を含んでいるのが、 「ありがとう」という言葉なのです。 もともと「ありがとう」は人智を超えた想像もできない、 考えられないような様を表現する時に使う言葉だったのです。 でもそこには間違いなく何かの力が有る。 だから人は「有り難し」と手を合わせて拝むのです。
何者かになる、そういうひとはその一切を跳ね返せる人間でしょう なんの疑問を抱くこともなく跳ね返せればいいのだけれど 跳ね返すことはたいへんです 強い力が必要ですし、その強い力は自分を変えてしまいかねません 強い力はそれだけ強力な壁をつくるし、心をねじ曲げてしまうものだからです わたしはそんな強さを欲していません 違う強さがほしい どれだけ汲み取ってもらえるかわかりませんがこれには大きな矛盾が伴います
価値がなければ社会で生きていけないのが現実だからです
価値、価値にどんな意味があるというのでしょうか。 わたしには興味がありません。 そもそも感謝の世界に価値は不要だったからです それは、みんなが“生きていることに敬意を払う”世界 ところが社会では敬意を払うだけじゃ生きていけません。 価値は評価、お金につながっています。 わたしは成功者になりたいということに絶対の気持ちはありません。 おそらくこれは現実を踏まえれば甘い考えだということに直結しそうです。 みんなわたしに価値を与えるために言ってくれている言葉だ。 この社会で生きていくためにはその言葉はまったく間違っていないのです。
苦しい苦しいと叫んでもなにもはじまりません 嘆くことよりもなんとかしようと行動するしかないですよね 選択はわたしたち一人一人に与えられた自由です それは、生きるという意味を担っているのだとおもいます
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