ドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞受賞短篇集。 この物語の中で著しくおもしろかったのは【離さない】。 人魚の話。 ゾッとしたw 夏の終わりにはもってこいでした!! 誰にでも好きになるものがあるはずです。 しかし逆に魅入られると逃げ場がなくなるものですよね。。
『神様』 川上弘美 くまにさそわれて散歩に出る。 川原に行くのである― 四季おりおりに現れる、不思議な<生き物>たちとのふれあいと別れ。 心がぽかぽかとあたたまり、なぜだか少し泣けてくれる、 うららかでせつない九つの物語。
◎神様を読むことになるきっかけstory◎ このとき、なんとなく読みたい本はあらかた読んでしまった感がありました。 自分でこれだという本を探すのは一苦労です。 そういうわけで、自分の感性ではなく人様の感性をいただく作戦にでました! あたらしい世界を拡げるには友だちのチカラを借りるのが一等楽ですw さて、そんなチャンスがおとずれたのはスマホを修理に出す日のこと。 ド○モshopで「待ち時間は1時間ほどになります」と笑顔で軽く言われました。 仕方がないので某ブティックに取り置きしておいたものを引き取りにでかけました。 するとわたし担当のM藤さんが凄いテンションでこう言いました。
「下のドーナツ屋さん行かれました? めっちゃ美味しいっすよ! 何も言わずハニーシュガー食べてみてくださいw 」
勢いで行ってみると、ハニーシュガーは最後の一個だった… これはもう食べろってことですね― 店内に入るとsnえちゃんがフツーにいた…
奇遇すぎだろそれ
いいや、実はこの流れこそがわたしによくおこるミステリー宿命w つい言いそうになった「なんでこんなとこにいるの?」 なんで?って言葉自体がご無体なものですよね。 〜だっているんだもん〜 お互いこんなところで遭遇しようとはおもいもよらず話ははずみました! そう、突然お薦めの本を聞けるチャンス到来!!w こんなときでもなきゃじっくり聞けるもんじゃない。 snえちゃんは『1Q84』を一番に挙げました、が、わたしは短編を要求w 文庫化したのはいいけど長編ですから“今”読むにはキツイ。 そういうわけで、『神様』です。 きっかけstoryおわり
この小説はちょっとした白昼夢を見ているようでしたw ファンタジーのようなリアル。 とらえどころのない文章におっそろしく戸惑いましたが読み進めると慣れてきます。 なかでもはずせないのがこれ。
「生き返りたいね」 かわいた声で言う。 「生き返って、秩序や無秩序の中で暮らしてみたいもんだ」 地面を見つめながら、叔父は洟をかんだ。 ポケットからくしゃくしゃになった白いハンケチを出して、大きな音をたててかんだ。 低く飛んでいる赤とんぼが一匹、叔父の体を通り抜けた。
【花野】は死んだ叔父の話です。 いつか失うものだとわかれば、どんなこともいとおしくなるのではないでしょうか 曲がりなりにもわたしは秩序や無秩序の中で暮らせているしあわせを感じるからです わたしたちがあたりまえとおもっていることがあたりまでなくなるときが必ずくる 怒ったり笑ったり、苦しくて悲しい、そんなことも感じなくなる日がくるかもしれない わたしたちはあまりにも現実にのみこまれている生活があります のみこまれすぎると厳しいだけのものに一気に傾いてしまいます だからどこかで自分を俯瞰することがバランスを生み出してくれるのかもしれません
「あのさ、熱いっていう感じをかたちにすると、どんなかたちになると思う?」 火を見つめながら、えび男くんがふと聞いた。 かたちねえ。 かたち。 やっぱり火かなあ。 「ぼくはね、熱いっていうのは、 手を天に向かって差し上げてる太ったおじいさんみたいなかたちだと思う」 ふうん。 それはなんだかおもしろいね。 「別におもしろくもないけどさ。 じゃね寒いっていうかたちは?」 寒い、ね。 寒いはね、星みたいなものかなあ。 「ぼくの寒いはね、小さくて青い色の空き瓶だよ」
これはダンスそのものだ、と思った。 このやりとりはまったくダンスだとおもうのです。 人にはみんなそれぞれにイメージがあり、そこには絶対の自由があります。 そのイメージには、実はすごいチカラがある。 ここではそれが言葉のやりとりですが、まったくダンスにおきかえることができます。 言葉のないダンスにすればまたぜんぜん違った性質になるかもしれません。 だけど、その出どころは同じだとおもうのです。 「それはなんだかおもしろいね」、もうこれだけでじゅうぶん。 もちろん「つまらない」という言葉にもなりえますがそれにも意味はあります。 ここは理屈ではありませんが、価値が、値打ちがダンスを決めるものじゃない。 唸ったのはそれを伝えるえび男くんの台詞、“別におもしろくもないけどさ” これにはかんがえさせられました 踊っている自分にもそんなふしがあるからです。 個人的な踊りは、決しておもしろいとおもって踊るものとは限らないし、 おもしろいとおもってもらおうなどと媚びることが踊りではないとおもうからです もちろんおもしろい楽しいとおもわないことはありません。 ダンスのあり方、有様が、ダンサーのありようを分けること。 考えようによっては「別におもしろくもない」ことを真剣に踊っているのかもしれない ただ、純粋に投げかける何かがなくては人前では踊れません すべては相手の受け取り方次第 そこにアクセスできるからだを整えることが仕事です 会話でもそうだけど、すべてがおもしろいものじゃありません。 純粋な話になれば、“おもしろい”ではないはずです。
「あんたが好きみたい」 カナエさんがある日ためしに言ってみると、男は、「好きたあ、なんのことだ」と返した。 「好きっていうのは、好くことよ」 「なるほどなるほど」 男は言い、カナエさんをまるめに来た。 「好きっていうのは、好かれたいことよ」
人の神様は人に似たものだとするたら、 自分の神様は自分を赦してくれるものかもしれませんね
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