この日、初めて勉強会というものを経験しました。 アカデミックな踊りを、技術を学んでこなかったわたしです。 これは本当にくるしい闘いとなりました。 言ってしまえば、その“くるしい”とやらはこの世界ではあたりまえのことです。 子どもの頃からこの世界に身を置けばこの闘いの連続です。 踊りに対してのもまれかたが違う。
すべての基礎が“決められた種類”のものである以上、学ばなければ習得できない
わたしがやってきた踊りはこの真逆です。 踊りたい、その気持ちがあればどんな人でも踊れる。 踊りは決して技術じゃない。 ほんとうに純化された踊りにはとてつもない力があります その踊りには動きがどうあらなければならない、なんてものはまったくないのです この世には鍛え上げる技術とは真逆の力がある
それはこころ、こころです
この話はアカデミックな踊りをやってきた人にはまず通じません。 なぜならその踊りが鍛え抜かれた技術の上にしか成立しないものだからです。 どれだけの力をそそいで技術を手に入れてきたのか。 その踊りがどれほどの厳しさの上にあるのか。 このお話はダンサーのプライドがここにある世界です。 わたしはそれを知るために今、ここに身を置いています。 はっきり言えば大人から始める時点でアウトな世界です。 本来なら子どものときに知っていなくてはならない知識がない。 子どものときに、その踊りを踊るためのカラダづくりをしていないのです。
できるはずがない
事実、わたしは子どもに問われたことがあります。 「タイスケさん、ここにきて何になるつもりですか?」 つまらない話と思われる方もおられると思いますがこれには堪えました。 そんなわたしがここに挑戦しているんです。 笑いたければ笑え そう、やるからには真剣です。 わたしはダンサーですから わたしは踊りが大好きです。 だから、あらゆるダンスを知っていたい そこに懸けるひとたちの熱意のほどを知っていなくちゃいけない 知れば知るほど、浅はかなダンスは踊れないことがわかります。 ダンスを踊ることは厳しいものだからです。 それはわたし自身の踊りにもまったく通じるものです。
さぁ話を戻します! そもそもわたしは勉強会にでるつもりなど毛頭ありませんでした。 それは上に書いたとおりです。 でれるはずがない レッスンの帰り、先輩の姉さんたちと会話しているときに大惨事がおきました。 姉1「タイちゃん出るのよね?」 このときわたしは冗談で言ってしまいました。 「俺、絶対でませんよ!!」 そのとき先生が、尊敬する先生が死角にいた―
「何言ってるの? でなさいよ! そのつもりで教えてるのに」
先生に聞かれたこと、それはたとえ冗談でも決してゆるされないことです。 わたしは思わずそこにあった電柱に何度も頭突きしました(超実話) 姉2「電柱が壊れるからやめてね」 誰もわたしの頭の心配はしてくれなかった(超実話) 次に先生に会うまでわたしは煮えたぎる心中と数日格闘しました。 覚悟を決めなくてはならなかった。 先生に恩をかえすにはあくまでもアカデミックな踊りでなくちゃいけない。 面と向かって先生に「でます」と言うと、先生に笑顔で「2曲?」と言われました。。 その笑顔がなによりも怖かった。 「1曲で…おねがいします」 今考えても2曲なんて焼け石に水、暖簾に腕押し、ぬかに釘。 鬼に金棒です!! 曲はグランパクラシック! こうして出来ないことに挑む日々がつづきました。 先生もわたしをなんとかしようと様々な、ほんとうに様々なことを注意してくれました。 ところがうまくいくときはうまくいっても安定しません。 自分でもどうしてできないのかわからないのです。 腹が立ちました。 一人でできない自分に腹が立ちました たとえ勉強会といえども本番は本番です。 出来ないことは「努力が足りない」の一言で済んでしまいます。 そんなわたしは当日、舞台上でまったく回転が入らなくなりました。 これまでの練習でなんとか曲がりなりに立ててきたのに、突然でした。
通しリハーサルで回転のすべてを失敗した
わたしはわけがわからなくなっていました。 こんなことあってたまるか 先生にメイク最終チェックをしてもらったとき声をかけられました。
「舞台では客席にあおられて身体が反ってしまうから視線を落とさなきゃ失敗するわよ」
このとき、先生の言葉がなければわたしの本番は大変なことになったと思います。 本番直前、先生に汗だくになるまで練習、注意されたことで踏ん切りはつきました。 たとえ失敗しても縮こまった踊りをするな、そう最後にいわれました。 そして本番。 やれはしましたが、やれたなどと決して言えません。 “できないことを思い知った”としか言いようがない。 達成感などまったく感じることもなく、ただ“おわった”と思った。 わたしはダンサーですが、いざ他の踊りをやれば“がんばった”にすぎないのです。 そんな自分を知ることがどんなに苦しいことかわかりますか? それは踊りで同情以外なんにも感じてもらえないという事実です。 勉強会というのは名ばかりではなく心底勉強するための会なのでしょう。
わたしは先生がいなければクラシックはまったく踊れないことを知ったのです
ひとりじゃなんにもできない 悔しいけれど、これが現実でした 自分にたりないもの、“今”のすべてを知ることができたのだとおもいます
|