建物やイケメンに非常に詳しいお姉さんが面白い本を課してくれました!
『期間限定の思想“おじさん”的思考2』 内田樹 現代思想の研究家であり、武道家である著者が“女子大生”を仮想相手とし、 成熟した生き方をするために必要な知恵を伝授。 自立の意味とは? 人が仕事をする理由とは? …あらゆる社会問題を自らの身体感覚と知に基づき、一刀両断。 大人になるための必読参考テキスト第2弾!
たいへん興味深い思想が目白押しでしたw たとえばこれ。
居酒屋に行ったときに、 店員に「ビール、アサヒにしますか、キリンにしますか?」と聞かれて、 「キリン!」というふうにきっぱり断定するやつが君の友人にいるだろう。 その場合、何となく「あ、こいつには勝てない…」と気後れするってことないか?
人間というのは“どういう基準で判断しているか分からないことがらについて、 きっぱりと断定する人間”に対しては“必ず気後れがする”という 心理的な構造に生まれついているからなのだ。
このようなロジックの謎解き。 たいへん興味深い!! マジで面白いよこれ― これを応用すれば機先を制することもできよう。 つ、使える! ちなみに上記お話のタイトルはこれです。
【断定するひとを見たらバカと思え】
“ほんとうのこと”を過不足なく言えたらどんなにすばらしいでしょうか これはダンスでも同じかもしれない。 いつも偽りないダンスが踊れたらどんなにすばらしいことか すべての人に過不足なく何かが伝わる、感じてもらえるダンスが踊りたい
「怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、 悪口を言うな(言われても言うな)、取り越し苦労をするな」
もっとも心に残ったものはこの章でした。
基本というものがたいていの場合そうであるように、これは同時に極意でもある。 基本は極意。 これはどんな技芸の体系でも変わらない。 基本が出来る、ということは、すべてが出来るということである。
これには唸ってしまいました。 ダンスでも同じだ。 それは“ただ立っていること” 立つことほど難しいものはない。 立つことを極めれば、おのずとダンスも踊れるということです。
「怒らない」というのは、 そもそも「怒るのを我慢する」必要さえない状態に達する、ということである。 自分のうちに怒りの感情も怒りの必要も感じなくなる、ということである。
実はわたしはこれができたときがあります それは初めてこの世界のすべてを受け容れられたときです 上に書かれているすべてが“できた”のです それは集中治療室で目覚めてから 自分が生きているとわかったとき 今まで生きてきて、あれほど生きていることに感謝したことはありません “感謝”の気持ちで満ち足りていたのです あれからいろんなこと、ほんとうにいろんなことを乗り越えてきました あのとき感じた素直な気持ちは今でもわすれることはできません わたしはあのとき生まれ変わったのです
読みすすめると驚く文章に出くわしました。
二十代の頃、わたしは攻撃的な人間だった。 竹を割ったような性格で物事をはっきり言う、そういう奴だった。 今でももちろんそうである。 嫌な事は嫌と言うし、間違っていると思ったことは間違っていると言う。 ただし、今はニコニコしながら「イヤなんだけどな〜」と言う。 それはなるべく相手と対立しないためにだ。 「ごめんね」とあやまりながら「イヤ」と言う。 だけど昔はちがった。 起こって「イヤだ」と主張した。 強く「イヤだ」と主張した。 なにかこう怒りのパワーにまかせて「イヤだ」って言わないと、 「イヤだ」って主張できなかったからだ。 なぜだろう。 私は主張する時、いつも怒りのパワーが必要だった。 自分を主張する時になぜか怒っていないと力が出なかった。
わたしは出来ることなら“怒り”のパワーで物事にあたりたくない。 怒りの力で決して自分を動かしたくない。 だって怒りの力は負の力だからです。 いい流れがそこから生まれるとはまったくおもえません。 以前、わたしがみんなの意見を取りまとめる役割だったときのこと。 あれは理不尽なことを言いつけられたときでした。 「失敗してもいい」そう告げると、ほとんどの人が納得する中で違う人がいた。 その人は怒りの力から「わたしはイヤだ」と言ったのです。 それを聞いて、わたしはその人に、 「やりたいならやってもいいけど手伝うことはできない」と言いました。 仮にうまくいったとしてもそれが怒りの力だというのはどうしても納得できない。 わたしたちの頑張りは、わたしたちのしあわせにつながっていなくちゃいけない。 わたしは、わたし“たち”をまもりたかった
怒りの力ほど強い力の源泉はありません。 わたしはありがたいことに先生に毎度鋭い注意を受けながら怒りが育っています。 その時の怒りの方向はたいへん浅はかなものです。 すぐに自分にかえってくるものですから。 しかし、その力は強烈にわたしの潜在能力を引き出すのです。 言葉にするのは困難ですが自分を叩き上げるには自らへの怒りが必要なのかもしれない そう考えると“怒っていないと力が出ない”というのは深いとおもいます。 怒りの力はもしかしたら自分自身には、自分にだけは使えるのかもしれません!
【背中が死んでいる人びと】 私が街を歩いていて、“背中が死んでいる”という感じがする人々は、おそらく 年齢性別にかかわりなく、“大人”になる仕方を学ばすに来た人々なのである。
さぁどうですか? あなたの背中はどう見られているとおもいますか? 気がつくことがすべてのはじまりです 気がつかなきゃなんにも変えられない 生かそう、生かしましょうよ いろいろ毒舌ではありましたが、たいへん興味深い本でしたw
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