断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年07月31日(火) 「しゃべれども しゃべれども」

本の雑誌が選ぶ年間ベストテン、第一位に輝く名作に挑みました!

 『しゃべれども しゃべれども』   佐藤多佳子
 俺は今昔亭三つ葉。
 三度のメシより落語が好きで、噺家になったはいいが、
 目下前座よりちょい上の二ツ目。
 自慢じゃないが、頑固でめっぽう気が短く、女の気持ちにゃとんと疎い。
 そんな俺に話し方指南を頼む物好きが現れた。
 でもどいつも困ったもんばかりで…

同著者の作品を何冊も読んできた中で『一瞬の風になれ』、強烈でした。
文庫全三巻ですが読む速度、興味のスピードはぶっちぎり。
そんな著者の小説ですから安心し期待をしながら読みました!

 歯切れのいい語り口で、言葉にできないもどかしさと不器用な恋

おおよそ恋の話じゃないんだけど、そのラストは思わぬところへいきましたw
その内容はダンサーのわたしにも大きく響いたのです!

 なぜ小三文師匠に弟子入りしたのかを思い出した。
 好きなのだ。 好きなものは、どうしても好きなのだ。
 似ても良いのだ。 師匠の落語が俺の原点だ。 原型だ。
 そこからすべてが始まっていく。
 芸の伝承とはおそらくそういうことだ。
 ただ真似るのではない。
 しっかりと、そっくりと受け継いで守り、大切に自分の中で成熟させる。

“好きだから”それは理屈を超えたすべてのはじまりです。
わたし自身が作品をつくるときも“似てはならない”という観念がありました。
今では上と同じに“似てもよい”と考えています。
ですがそれには絶対的な条件があります。
それが借り物だとしても、自分自身がたしかに生きていること

 自信って、一体何だろうな。
 自分の能力が評価される、自分の人柄が愛される、自分の立場が誇れる―
 そういうことだが、それより、何より、肝心なのは、
 自分で自分を“良し”と納得することかもしれない。
 “良し”の度が過ぎると、ナルシシズムに陥り、
 “良し”が足りないとコンプレックスにさいなまれる。
 だが、そんなに適量に配合された人間がいるわけがなく、
 たいていはうぬぼれたり、いじけたり、ぎくしゃくとみっともなく日々を生きている。

自信、これはたいへんデリケートな問題です。
なぜなら時と場合によっていつも変化するものだからです。
それよりもわたしは自信というよりも堂々とあることを意識します。
自信があるから踊るわけでは決してない
これをバカにするひともいるかもわかりません。
ですが、わたしは挑戦者でしかないのだとおもうのです。

 「甘っちょろいこと抜かすんじゃねえ。
  顔なんか鬼でも岩でもゴリラでもいいんだ。 コーチはどうせ憎まれ役だ。
  どれだけ嫌われてもうらまれても、
  選手に必要な技術をたたきこんでそいつが活躍しさえすればいいんだ。
  裏方なんだ。 実用品なんだ。
  好かれようなんて思ったら、ストレッチ一つ仕込めないぜ」

現在、わたしが師事する先生はまずもって褒めてくれるなんてことはありません。
飛んでくる罵声は出刃包丁のように鋭く、下手すりゃ貫通するほどの威力です。
正直に言えば、言葉が厳しすぎて怒りがわくことがしょっちゅうあります。
つい壁や柱にパンチを繰り出したり蹴ったりするときも。
ですがその言葉が理に適っているために、怒りは自分自身に行き着くのです。
好きとか嫌いじゃない、すべては自分のため
わたしは先生に好かれようなんておもっていません。
好かれるなんてことは結果論だからです。
とにかく、事故で踊れないカラダだったわたしがここまでこれたのは先生のおかげだ
先生の教えが二度目の原点、はじまりでした
だから活躍することで先生に恩返しがしたい
そう、先生はわたしをまったく怪我人扱いしないのです

 「一期一会というんだよ」 ばあさんは静かにそう言った。
 「お茶の心だよ。  同じお茶会というのは決してない、
  どの会も生涯にただ一度限りだという心得さ。
  その年、季節、天候、顔ぶれ、それぞれの心模様、何もかもが違うんだよ。
  だからこそ、毎度毎度面倒な手順を踏んで同じことを繰り返し稽古するんだよ。
  ただ一度きりの、その場に臨むためにね」

ただ一度きりの、その舞台に臨むためにできること
ひいてはただ一度きりの人生に臨むためにできることをしたい


 < 過去  INDEX  未来 >


Taisuke [HOMEPAGE]