断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年04月01日(日) 「戦火の馬」

スティーブン・スピルバーグ監督があなたに贈る“生き抜く勇気”と“希望”の物語。

 『戦火の馬』
 あなたの心が震える―

「前を向いて、走り続けるんだ…」
第一次世界大戦、激動のヨーロッパ  故郷を遠く離れ、国境を越えて、戦火を生き抜いた、奇跡の馬  その存在は、人々の“希望”となった…

スピルバーグじゃなかったら無理して見に行ってないな。
そこまで心も震えなかった。
だって馬だから。  その馬は人為的に役目をあたえられている馬だからです

 人間の都合じゃん

馬を戦争に狩り出しておきながら手前勝手に希望に仕立て上げてどうする
馬に希望を感じる前に、そもそも人が自らに希望を見出さなくてどうする
なぜ人類が犯した災禍で生き抜いた馬を讃えるの?
この映画は人間のエゴだ、傲慢だ  暴力的すぎる
たしかに美しいドラマです。 再会シーンには心も震えました
でもどうしても納得できない
人間の争いごとから目を逸らして、馬の奇跡的な生還に感動なんてできない
だってなんにも解決していないんです  問題をすりかえてどうする
それに、馬が人間の道具としてあつかわれること自体に疑問を感じるのです
サラブレッドなどは人間がつくりあげた品種です。
人間の都合でつくられた動物。
そんな動物にとってなにがしあわせか、どうしてもわかりません。
人間に報いることがしあわせになりえる?
なによりも、人間がいて成り立っている生命は“生きてる”って言えるの??
役目がさいしょからあたえられてるってどういうこと??
運命を、未来を、自分で選択できないんです

 俺はだまされないぞ

馬はうつくしいよね  生きてるだけでうつくしい  見とれるくらいうつくしい
じゃあ人は?  生きてるだけでうつくしい??
きっと問われるのはその生き方です

そもそもジョーイを特別扱いしたのは人間でした
なぜならうつくしい馬だったからです   〜単純に差別じゃないか〜
並外れたその姿と筋力と賢さが、人が特別扱いする所以です
戦争では動けなくなった駄馬は使い捨ての道具として処理される運命でした
だとしたらこれは特別な馬の映画だということです
結局、人間はうつくしいものにしか心を奪われないということかもしれません
もちろん映画だということもありましょう
しかし、それでも行き着く先はここでした

 人は醜い

劇中、両軍が対峙する戦場でジョーイが有刺鉄線にひっかかったとき。
両軍の軍人が戦いをやめてジョーイを救おうと協力します。
わたしはここにこそ希望を感じました。

 人は自らの過ちを超えて馬をたすけようとした

わたしたち人間は極限状態でも動物を愛でることができると信じたい
もしかしたら極限状態だからこそ、かもしれません
人はいつだってさみしがりやだからです


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Taisuke [HOMEPAGE]