断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2012年03月30日(金) 「進化する強さ」

いつの間にかわたしは本を持っていなければおちつかない人間になってしまいました。
持ち本を読了しおそろしくそわそわしていたその時、目に飛び込んだ一冊!

 『進化する強さ』   クルム伊達公子
 あなたにも変われる強さがある!

わたしはクルム伊達公子の大ファンw  昨年のビーナス戦は特別でした
震えながらウィンブルドンテニスをテレビ観戦していたのです。
するどく決まる伊達のライジングショット!
〜あの姿を見て応援しない人、手に汗握らない日本人がいましょうか〜

 挑戦することは 本当に楽しい

 試合はまるで人生のようです。
 大事なのは、たとえ調子の悪い時が続いたとしても、
 腐らず、やけにならず、いかに冷静でいられるか。
 それは頑張るのではなく、まさに踏ん張る時なのだと思います。

快速電車で移動するその時間で読んだページ量をふりかえってみた。
「4日も電車に乗れば読み終わるな…」  そしてそのとおりになります
だいぶ読書家としての勘が働くようになったねw
この本は見開き1ページ1テーマ完結、これ以上なく読みやすい。
ページが進むスピードは尋常じゃありません。

凄まじいと感じたのは、その自己コントロール法。
世界のトップで闘ってきた人間の、試合に向かう徹底的な時間コントロール。
傍から見ればきっと“異常”です。
しかし目をつけるべき焦点はそこじゃありません。

 これが“あたりまえ”だということです

その文章にはあいまいさが微塵もない。
何者もよせつけないバリアを張っていなければやっていけなかったと本にもあります。
ダンスの世界でもこれは同じだ。
踊る責任をかかえたトップダンサーにも他人をよせつけない壁があるのです。
勝負の世界でなくとも人とは明らかに違う、得たいの知れない孤独のバリア。
わたしにはそれがいいのかわるいのかわかりません。
ただ、舞台に必要であるのはたしかです。  結果として身につくものかもしれない
他人が触れえないからこそ、みんなを一気にひとつにできるのかもしれません。
大前提は“圧倒的な力”です。
一般人ではいけない、そうあらねばならないからです。
すくなくともわたしはそんな人がすべての人に気を配るのを見たことがありません。
それは、自分自身にのしかかる重圧が桁違いだからかもしれない。
同じ職業、積み上げた年月や技術が問われる世界では一足飛びはまずできません。
会話することでさえ簡単にはできないのです。

 同等かそれ以上の力で練りあげるしかない

わたし自身のことを言えば、挑戦しつづける毎日でしかありません。
この本では“チャレンジすることは生きている証”だと記述されています。

 〜チャレンジすることは生きている証〜
 人間はやはり、成長したい生き物。 試練を乗り越えて、レベルを上げたい。
 目標を設定して、努力して、達成感を得たい。 それこそが生きている証しです。

その文章が素直にうれしくひびきました!
ダンスよりも大事なものがわかったのは事故のおかげです。
それをするにはわたしにはダンスしかない、そう気づいたのです。
もう一度踊りたい
わたしにとってあの事故は不幸でしたが、今のわたしにはそこからがすべてです。

 何のために続けているのか。 テニスが好きだったからではないのか。
 自分で決めたことなのに、つまらないプライドのせいで逃げてしまっていました。
 それからというもの、私はさぼることがなくなりました。
 自分の意志を確認できたからです。
 誰かにやらされていたらそうはならなかったでしょう。

伊達がもう一度テニスにチャレンジするまでに11年半。
それに比べればわたしは半年ほどで揺るがない自分を手に入れたことになります。
見失うことがなくなったんです
この歳でこの知見があるのは幸運としかいいようがない
こうして生きているわたしはからだを酷使する厳しいレッスンを自らに課しています。
クルム伊達公子は勝負の世界ですが、わたしたちダンサーは芸術の世界です。
単に芸術というには抵抗がありますけどね。
プロのラインがまるで明確でない世界です。 人にあたえる影響も答えがありません
そのスタンスはまったく違いますが、ここだけは同じです

 挑戦することは 本当に楽しい

ダンスとは人そのものです
ダンスは自らをさらけだす行為だからです
すべてはどう生きてきたか、どう生きたいのか
舞台上では決してかくせないのです


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Taisuke [HOMEPAGE]