ヴェネチア熱狂!! 止まらないスタンディングオベーション! 世界の映画祭を賑わすアミール・ナデリ監督最新作。 気になったので映画館にいきました。
『CUT』 映画のために死ね
兄の遺した借金1,254万円。 返済のために選んだ道は―
殴られ屋
秀二を支えたのは狂気にも似た映画愛。 信じるもののためにたったひとりで世界と戦う男の物語。
「あの金儲け主義のクソヤローのもとから映画を取り戻しもう一度、 映画をよみがえらせてください」
わたしは途中からおそろしく怠惰になりました。 左右に人がいたから帰ろうにも帰れません。 仕方がないので怠惰に見てました。 〜完全なる惰性です〜 映画の内容とは真逆、生きる目的もないのに生かされている気分 ほとんど音もない映画館客席で「グゥ〜」 わたしのお腹が気前よく鳴り響いたw お腹をおさえる気にもならないほどどうでもよかった。 するとどうでしょう、おそろしいことがおきましたよ―
「グゥ〜」
なんと左からもお腹の鳴る音が聴こえてきたんです!! お腹が鳴るのって伝染るのかw ひ〜と〜りじゃない〜 ひ〜と〜りじゃない〜 人生とは思わぬところで面白いことがおこるもんです☆ 見るほうが面白い、そう言ってた友人があっさり身内に狩られる時代なんですよ―
ひたすらに映画を愛する映画監督・秀二の描き方が足りない、そう思った。 言いたいことはわかる、わかるがこれじゃ殴られるのをひたすら見るだけじゃないか。 あれでは秀二がどれだけ映画を撮りたいか、がわからない。 だいたい最初から映画監督って説明されても全然信憑性がないんだから仕方がない。
「どれだけ殴られても痛みを感じないんです」
それは“映画”だからです ほんとうに殴られてないからw 映画とはウソづくり、だからこそリアリズムを追求しなくてはならないはずです。 途中からどう見てもウソにしか見えなくなりました。 退屈でした つまるところ演技力の問題です。 そもそも何十発と思い切り殴られるんです。 思考できなくもなるだろうし、よほど頑丈でなければ骨も砕けて当然でしょう。 しかし秀二は違います。 一度も意識はなくならないし、楽勝で会話までできる。
疑うよな
映画に文句いっても仕方がありません。 すべては演技、演技なんです。 でもさ、だからこそウソを“本物”にしなければ映画にならないんじゃないの?? これはダンスも同じだ。 動きを“ダンス”にしなくちゃいけないんです いくら強くてしなやかなカラダをつくろうとも動いただけではダンスにはなりえない たしかに行き着く先はひとつ。
どんなことがあっても、やりたいことがあるのか
その強度を観客に突きつける映画であったことでしょう。 しかしあれでは響きません 残念ですが「金返せ」って思った そんな中、ひとりだけイーグルがいました。 常盤貴子です 彼女の演技はほんとにクールで飛び抜けていたんです さすがですね
問われるのは同じこと “どんなことがあっても、踊りたいものがあるのか” ダンスのために生きろ、…もうわたしはここにはいません 今年は違う
生きるために踊りたい 踊って生きたい
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