今年は4年に一度の閏年。 一日多い日 オリンピック年! 人間がつくった暦とはなんと緻密なのでしょうかw よくよく考えると、ほとほと気の遠くなる作業だったはずです。 1年というものをよく創り出したよね… 凄いぞ人類― 四季の移り変わりで感じる、年度の繰り返し。 ここで間違ってはいけないことがあります。
わたしたちの人生は、繰り返しではなく、一方向(→)でしかない
そう考えるとちょっとおそろしくなったりしますね☆ 未来へのベクトル、時間軸はまったくone way。 ひたすら→ → →突き進みます ループではなく一直線、どんなに曲がりくねろうとも一直線なんです
毎日が最終回
さてそんな閏年の今日、ちょっと普段とは違うblogにしてみたい! とは言いながら、きっといつもと変わらないのが関の山w 関の山でも抗います! なんたって今のわたしにはこれしかありませんから 今日という日はこれまでに読んだ本の一場面に挑戦したいと思います!!
「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解してほしいと 思っていないところなんだ」と永沢さんが言った。 「そこが他の連中と違っているところなんだ。他の奴らはみんな自分のことを まわりの人間にわかってほしいと思ってあくせくしてる。 でも俺はそうじゃないし、ワタナベもそうじゃない。 理解してもらわなくったってかまわないと思っているのさ。 自分は自分で、他人は他人だって」 「そうなの?」とハツミさんが僕に訊いた。 「まさか」と僕は言った。 「僕はそれほど強い人間じゃありませんよ。 誰にも理解されなくていいと思っているわけじゃない。 理解しあいたいと思う相手だっています。 ただそれ以外の人々にはある程度理解されなくても、まあこれは仕方ないだろうと 思っているだけです。 あきらめてるんです。 だから永沢さんの言うように理解されなくたってかまわないと思っているわけじゃ ありません」 「俺の言ってるのも殆ど同じ意味だよ。 本当に同じことなんだよ。 遅いめの朝飯と早いめの昼食のちがいくらいしかないんだ。 食べるものも同じで、食べる時間も同じで、ただ呼び方がちがうんだ」
「君にはどうもよくわかってないようだけれど、 人が誰かを理解するのは しかるべき時期が来たからであって、 その誰かが相手に理解してほしいと望んだからではない」
最後のフレーズが、一文がどうしても頭から離れません。 なぜなら、おそろしく的を得ていると思えるからです あなたはどう思いますか? さっぱりあきらめますか? 認めたくない わたしはあきらめません。 どうにもならないことだけれどなんとかしたい
すくなくとも心をひらいてくれるように努力する
そうでなくては相手がこころをひらいてくれるわけがありません。 なによりも相手があることです、こちらが心を閉じたらおしまいじゃないですか! だからこそ身勝手なダンスはおどれない。 もちろん良い悪いの問題ではありません。 あくまでもわたしの指針です 最終的に身勝手だとおもわれようと本番までにはあらゆる努力をしています わたしがおどりたいのは単なる自己発露ではないからです
「わかってほしい」という惨めなダンスが踊りたいんじゃない 自分の想いを叩きつける暴力的なダンスを踊りたいわけでもない
ただ、あらゆる人がなにかを見出せるダンスが踊りたい どんなことでもいい、心をひらいてくれるようなダンスが踊りたい
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