年末年始、わたしはおぞましい小説を読んでいました。
『海の底』 有川浩 4月。 桜祭りで開放された米軍横須賀基地。 停泊中の海上自衛隊潜水艦“きりしお”の隊員が見た時、 喧騒は悲鳴に変わっていた。 巨大な赤い甲殻類の大群が基地を闊歩し、次々に人を「食べている」! 自衛官は救出した子供たちと潜水艦へ立てこもるが、彼らはなぜか「歪んでいた」。 一方、警察と自衛隊、米軍の駆け引きの中、機動隊は壮絶な戦いを強いられていく― ジャンルの垣根を飛び越えたスーパーエンタテインメント!!
そうです 年末年始、巨大ザリガニに人々は逃げ惑い「食べられていた」!! 年末年始 めでたいときになんてこった― ってこれスーパーエンタテインメントなんだ― 新年から何故こんな小説を読んでいるのか考えたら笑わずにはいられませんw なんたって巨大ザリガニの全長は1m強〜3m級ですよ!? そんな大惨事を読んでいくと、ぐさりと刺さる文章にぶちあたりました。
たとえば強面の先任軍曹が艦に残っていたのであれば、 揉め事も最初から起こっていなかったのだろう。 逆らう余地もなく断固として大人であり「恐いおじさん」なのだから。 歯向かわれるには歯向かわれるだけの未熟と隙があるのだ。
わたしは未熟と隙だらけの人間です。 それも大人としてだいぶ問題がある種類でしょう。 いま現在も途中をつづけているのが事実だからです。 まだ為すべきことを為していないのだから仕方がありません。 でもだからといって隙がないってことが立派かというとどうでしょうか。 そうなればなるほど人間らしさがなくなっている気がするのです。 もちろん“仕事”でいえば間違いなく立派です。 だけど、仕事から離れればそれは面白くない。 不十分だから人間は楽しい。 その上で為すんだ わたしはこの文章に考えさせられました。 自分がすすまなくちゃいけないこと あとまわしにしないこと 物語は解決へ。 海の底、その結末は思ってもみないところへ向かったのです。
“はじめて”をリセットする
わたしは意表を突かれました。 そんなことができるなんて!! まてよ…?
よく考えたら、自分自身も“はじめて”をリセットした一人でしたw
〜もう一度〜 物語でも望ちゃんはもう一度会うために“努力”しています。 その努力は語られることはないけれど、それは運命を手繰り寄せるすごい力です。 そうじゃなくちゃリセットできるはずがない。 出会いをやりなおす、それがどんなに大変なことかわたしは知っています。
人は変われるんです しかしそれには“本物の努力”が問われるのかもしれません
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