レッスンの間隙を縫って、気になっていた映画を強引に見に行きました。 あれこれ画策しましたがもう今日この時間しかなかった―
〜第34回モントリオール世界映画祭 観客賞受賞〜 『ペーパーバード 幸せは翼にのって』
1930年代スペイン独裁政権下。 妻子を爆撃で亡くした喜劇役者と孤独な少年の心の交流が生きることの素晴らしさを教えてくれる、涙と感動の物語。 そもそも見に行くきっかけとなったのは、この文章です。
いつか、君と一緒に舞台に立とう 人生という名の曲とともに
わたしはダンサー、舞台人です。 目に止まらないはずがないw …傑作でした 2011年、感動のままに帰れた最高のスペイン映画です☆ 驚くべき完成度だったんですよ!!
始まった直後、主人公の喜劇役者・ホルヘに悲劇が襲います。 爆弾が愛する家族の住むアパートを直撃してしまうのです。 この時点でわたしは泣いてしまいました。 理不尽な出来事が人生にはおこるからです わたし自身で言えば、わたしの身に降りかかった突然の事故でした。 出来事は同じものではありませんが、その“どうにもならない痛み”が直撃したのです。 わたしはまわりの人たちに励まされ勇気づけられて自分を取り戻すことができました しかしホルヘは違います。 一瞬で最愛の家族を失ってしまったのです どうにもならない憤り、内戦中のおそろしい出来事。 劇中、ホルヘは一度だけ本心を口にします。
「お前はほんとうの悲しみを知っているのか? 悲しみを通り抜けて涙も出ないんだ」
そんなホルヘは1年で一座へ戻ってきます。 戻ってきたホルヘはどうやって自分を取り戻したんだろう。 状況が一変したとき、心とはまったく制御できるものではありません “わかっている”そう思っていた自分自身が突然わからなくなるのです わたしも本物の自分自身を探しだすまでどれだけ時間がかかったかわかりません しかもみんながたすけてくれて、です ホルヘもきっと他人には決してわかりっこない、複雑な気持ちを抱えていたはずです ホルヘが戻ってこれたのは、真実を得たからだと思う。 戻ってくるまでの1年、ホルヘは反独裁政権活動をしていて投獄されています。 戦争に殺された愛する家族。 はかりしれない憎悪をぶつけたはずです。 しかしその1年でホルヘはたった一人で自分自身を取り戻していた。 取り戻していたといってもステージではその複雑な気持ちを叩きつけるふしがあります。 しかし過激な反独裁活動には一切、加担することはなかった。
あくまでもステージで生きることを択んでいたのです
ホルヘは相棒エンリケと孤児のミゲルと3人で暮らすうち、さらに変化していきます。 そのシーンは幸せそのものでした 美しかった こんななにげない時間、一生懸命に打ち込む姿こそが かけがえのないものだからです もしかしたら人生とは“結果が幸せ”ではないんじゃないか 生きているものが死ぬときには、哀しみがセットになっているからです だとしたら、結局一日一日を“どれだけ自分に誠実に生きたか”でしかない 自分にウソはつけないのです そのときまでどれだけ誠実な時間を過ごせたか それが走馬灯、幸せというものでしょう ホルヘは大人のやさしさにあふれていました
「いつか二人だけのネタを作ろう」
しかしそのネタがつくられることはなかった。 わたしは時間がどれほど大事か、今では痛いほどわかっているつもりです 本音で語れるチャンスなんて人生においてほとんどありはしません その人とどれだけ向き合っているか、そしてタイミングが必要だから 相手があることなら相手も向き合ってくれなくちゃむずかしい だからこそ、告白と呼ばれるものはこの世でいちばんうつくしいものなのです ホルヘとミゲルの会話中、ひときわ胸を打った言葉があります。
「いつも一緒にいるんだ」
それは自分が愛するひとたち たとえいなくなってもいつも一緒にいる
きっとこれがホルヘが舞台に戻ってこれた真実 怒り、憤り、複雑な感情を乗りこえてここにたどりついたのだと
わたしを励ましてくれた人の中には、もう「ありがとう」と言えない人もいます そのホルヘの言葉にこころが揺れて、たまらない気持ちになりました そう、わたしにもいつも一緒にいる人たちがいる
「♪友よ 人生はこうだ この金には価値がない」 ラストシーン。舞台上でミゲルが歌いだしたとき、涙がとまりませんでした 舞台ってほんとうに素晴らしい、そう感じたのです
わたしたちはいったいなんのために舞台にあがっているんだろう
簡単に文章にできるものではありませんが、その意味をこの映画にみた気がします 〜ペーパーバード、それは未来に羽ばたく希望〜 号泣です
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