断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2011年11月20日(日) 「ちはやふる #5」

 なぁじいちゃん、じいちゃんはなんではようカルタ取れるんや?
 ほやのう、カルタの神様のおかげかもしれんのう…
 カルタの神様?
 カルタを大好きになって、毎日毎日やってたら、
 ときどきカルタの神様が音の一歩先を教えてくれることがあるんや
 じいちゃん、カルタを好きなことやったら新にはまだまだ負けんよ

  もし本当にカルタの神様がいるんやったら、
    それはきっと じいちゃんのかたちをしている

わたしは泣いていました

踊りの神様   わたしには踊りの神様がいます
ダンスにはかたちがありません
わたしは不甲斐ないからだで踊りをしたくなかった
こんな自分を舞台で見せたくない
でも踊りたかった  ずっと踊りたかった
だから

技術がなければバレエで居場所はありません
基本的なことはすべてこなせなければ、踊りにアクセスできない種類
わたしはダンスが大好きです
毎日毎日踊っていたら踊りのつづきが見えてくるようになります
しかし、それはバレエでは通用しません
なぜならバレエの神様が別にちゃあんといるからです

みんなと明らかに違う事実
それは、バレエの神様はわたしに一歩先を教えてくれないこと
わたしはこれまで見てきたひとたちから自分の理想を引き出しています
その引き出しが多すぎることもありますが、とどかないものしかない
刃のような鋭い踊り、ダイナミックな強い踊り、ひとつひとつのポーズの輪郭
なまじカラダが利くことで、まだまだやれるとしても時間がない
ところが、それよりも重大なことを舞台上でわたしは思い知ることになります

 なによりもバレエを好きなことが負けていた

みんなこどものころから好きかどうかもわからないままにやってきたひともいましょう
ですがどこかで必ず問われるときがきます
それは大好きになって、毎日毎日どれだけやってきたか
そう、“大好きになって”+“毎日毎日”です
その年月が音の一歩先をおしえてくれるんじゃないかって思うんです

それがわかったとき、どれだけ苦しかったかしれません
どうやったらその年月を自分のものにできるか  どれだけ早く
焦りなんて最初からあります  わたしにとってそれは“あたりまえ”です
なによりも、あたらしいわたしが不自由になった現実を超えなくちゃいけない
センスで補えるものなのかもわかりません
だから、わかるまでつづけてみるしかない
もしかしたら最後までわからないかもしれない

 つづけることがそのひとをかたちづくっているものかもしれません

じゃあ生きることを毎日毎日やっていたら?
生きることが大好きになって毎日毎日やっていたら、
生きることの意味をおしえてくれるかもしれない!!

 でもわたしは思うのです   つづけることが生きることそのものじゃないかって

来てほしくなかった  こんな自分を見せたくなかった
何者でもない自分が恥ずかしくてたまらないんです
だとしても、ここまで努力してきた時間は真実です
どんなふうに見えようとも元気に自分を踊らせて感謝を伝えたい
いまを生きている実感をつたえたい
 想いは…複雑です
それでも舞台は広くてうれしかった
いまできることの全力、それは常に挑戦です
もしかしたら、わたしはずっとchallengerでしかないのかもしれません
しかしそれでいいじゃないか、とも思うのです
だってどこかで挑戦するこころがなかったら舞台人じゃない

未熟だからこそ追い続け、生きているからこそ恐怖とたたかうのです


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Taisuke [HOMEPAGE]