| 2011年11月13日(日) |
「HOPE JAPAN」 |
SYLVIE GUILLEM ON STAGE 2011 『HOPE JAPAN』 日本が大変な困難に直面している今こそ、希望の「ボレロ」を!
彼女の出現後、ダンサーの在り方が変わったとされる伝説のDancer シルヴィ・ギエム。 今回もわたしは、最前列でそのダンスを見るチャンスに恵まれました!! 日本のことよりも自分のことで精一杯なわたしです。 事故から復帰したわたしがあたらしい踊りに直面する今こそ、希望の「ボレロ」を!
最前列、もう運命を感じずにはいられません なにもかも わたしの未来につながっているのを感じるのです
世界最高のパリ・オペラ座で最前列の直後に、世界最高のダンサーまでも最前列! 「ふざけるな」みんな声をそろえてその幸運を言葉にしてくれましたw でも、ここでは正直に言わせてもらいます。
これほど未来への重圧を感じることはありません
なぜならわたしが彼らと同じ“Dancer”だからです。 世界最高とまで称されるDancerを眼前にするなんて、身に降りかかる災厄とも言えます。 自分の力のなさを容赦なく思い知らされてしまうからです。 そんなものを見たらあしたをどう踊ればいいのかわからなくなるかもしれません。 真にすごいダンスは底が見えません。 これまでの物差しがまったく機能しないのです その世界は、希望であると同時に決意が問われます。 あたらしい扉がひらかれればもう後戻りはできません。 後戻りできるはずがない 知ってしまったことを知らなかったことにはできないのです。 他のDancerからよく聞く言葉があります。
「彼らは“違う”からね」
自分が踊るために、割り切ることは必要かもしれません。 しかし同じ世界にいる以上、違わないのが現実です。 だから、どこかでそれを目指し、努力していなければウソだと思う。 隔ててしまうことは簡単ですが、ダンスの厳しさはなんら変わらないからです。
だとしたら、その“違い”を知ることからしか始まらない
世界中でDancerとして迎えられる、そんな踊りをする人間がたしかに眼前にいた。 それはDancerとしてこれ以上ない地位、その地位には踊る責任がつきまとうはずです。
わたしはクラシックを極めた者のみがいける場所をみました たしかな踊りを極めなくては決してたどりつけない場所です
ギエムは、“より自然なダンス”に向かっていました。 なぜならその踊りの性質が動的な力ではないダンスだったからです。 はっきり言いましょう、わたしはエナジェスティックなダンスが見たかったのです。 ところが違った。 むしろ日本の“能”に近しいものを感じた。 〜それは、感情とは別次元〜 わたしはこれが“ダンス”なのかどうか、わからなくなりました。 もうダンスを超えている気がするのです 事実、シルヴィ・ギエム以外にコンテンポラリーを踊ることでこんなに観客が集まることはありません。 最終的に「ギエムは凄い」と納得させてしまうことができるのです。 ダンスの真意をそれぞれがどれだけ感じているのか甚だ疑問ではあります しかし、だからこそ、彼女の役割は明日へとつながっています。 ダンスは単純なものではないからです 『Two』そのダンスは照明効果でゾッとするほど残像が残って目が離せなかった。 つま先なんかこんなだし、脚が上がるのなんてあんなですよ?! 〜軽く絶望です〜 すこしも力いれてるように思えない 何事もなかったみたいにスッと180度以上 そんなギエムの言葉にはこうありました。
『ボレロ』は、私たちが決して失うことのない或るもの 希望の力へのオマージュなのです
ボレロのラスト、ギエムのジャンプを見たとき涙が落ちました 涙の理由はあるはずなのに言葉がみつからないんです もう理屈じゃない
わたしは楽屋からギエムが出てくるのを待ちました。 もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれません。 今日できることをしておきたい 後悔しないために
「Bonsoir.」
わたしはギエムに挨拶し、地球をあしらったフットサルボールにサインをしてもらった。 サインしてもらう特別なアイテムを持参していたのはわたしたちだけですw 舞台上でみたギエムは圧倒的に大きく感じたのに、眼前の彼女はなんと華奢なことか…
その統べる空間がDancerの実力
この舞台でわたしは見るものを見、感じるものを感じて、できることのすべてをした 握手したときのギエムの笑顔 未来のわたしに、まったく思い残すことはありません
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