LORANの日記
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常識は、本当のことと信じられています。
裁判でも、常識が正当な主張に組み入れられます。
常識が時代によって変わってきたことは、知られています。
地球が球体であると信じられたのは、それほど昔ではありません。
1676年、オランダのレーウェン・フックが150倍の顕微鏡を
発明するまで、細菌の発見は待たなければなりませんでした。
それまでは病気や天災は悪魔の仕業とされていたのです。
1487年、北ドイツの修道院でドミニコ派の修道士・シュプレンガー
が、「マレウス・マレフィルカム(魔女の槌)」という名の本を
書き上げました。
これ以後、300年間に渡って多くの人々が魔女裁判によって死刑に
されてしまいました。
異端尋問は10世紀のフランスのカタリ派への宗教弾圧からと言われて
います。カトリック聖職者の堕落に嫌気を起こした宗教的に真剣な人々
が、宗教者と国家権力によって弾圧されたのです。
中国の「文化大革命」では、弾圧で2000万人が犠牲になりました。
このように常識は、時の権力者の都合によって操作されてきました。
愛国心でさえ、国民は権力者の権威の存続のために利用されています。
「国敗れて山河あり・・」は杜甫の春望という漢詩ですが、愛国心は
国が勝っても、負けても、自分の郷里を愛するから誰にもあります。
しかし権力者は、戦争に負ければ権力を失うのですから、国民を
犠牲にしてまで、権力を守ろうとします。
戦時中の「1億玉砕」などというスローガンがそうです。
このように、常識は常に操作されたものであると認識すべきです。
単純に言われた命令に従順であることは、自分の考えが無いからです。
日本人は論争嫌いと言われています。
「長いモノには巻かれろ」意識が強いのでしょう。
たまたま60年間の平和が続きました。
政府は防衛庁を昇格して、戦争に向かっています。
このままでは、なんの抵抗もしないうちに戦争へ駆り立てられるでしょう。
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