LORANの日記
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上という字は、一の上に人と書きます。
下という字は、一の下に人と書きます。
福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で、「天は人の上に人を作らず、
人の下に人を作らずと言えり。・・」と書きましたが、
残念なことに現実は未だにそうはなっていません。
明治維新で西洋思想が輸入されてから約140年が過ぎ、「自由、
平等、公平」は一般化したはずですが、おかしなことですね。
日本人は世界で最も秩序を重んじている民族のようです。
1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」での整然とした
市民の態度は、海外からの特派員に驚異の目を見張らせました。
それはとてもすばらしいことですが、「すべてお上(おかみ)
志向」には困ったものです。
その顕著な例が、TBS TV のドラマ・「水戸黄門シリーズ」
でしょう。
1969年8月放映開始以来の超長寿番組で、2003年12月に「1000回」
を記録し、更に記録を更新中です。
「勧善懲悪」を絵に描いたような作品で、真面目に働いていれば、
いつか必ず報いられると説いています。
まさに儒教の教え通りですが、ここには受身の正義しかありません。
それまでじっと耐え忍んでいれば、「黄門様」=国家権力が救って
くれるという、前時代的な発想が踏襲されています。
これでは殆ど、信仰の世界です。
このような事実を見て思うのは、「下」の世界に住む民衆は我慢、
忍耐しなければならないという教えの徹底です。
それが自分にとって、どれほど受け入れられない条件であってもです。
戦争になって、「徴兵制度」になったら、文句を言わないで、国の
ために戦って死ぬことが美徳です。殉死が美徳なのです。
私にはこの意味がわかりません。
もしも私の息子に「徴兵通知」が来たら、例え密航しても死なせない
でしょう。
私にとっては国家よりも、家族が大切です。
62年前の戦争では、戦争に反対した人たちは「非国民」と言われまし
た。それを言うのも民衆でした。
民衆は「戦争反対」と言わないことで、戦争を支持しています。
企業経営者の中には、「こんな不景気では、戦争でも起きなければ」
と、戦争待望を真顔で言っている人さえいました。
暴力に暴力で対抗することがどれほど愚かであったかは、歴史が証明
しています。
欧米の思想を「キリスト教原理主義」といいます。
生まれた赤ちゃんは洗礼を受けますし、結婚式には教会で、大統領は
就任式で聖書に誓います。
しかしその民衆は、約2000年前、イエスを十字架へかけたのでした。
エルサレムにいたローマ帝国の提督・ピラトはイエスの罪状を認めな
かったので、ユダヤ教のラビと民衆がリンチ(私刑)にしたのでした。
中国の魏 曹植は漢詩に書きました。
「豆を煮るに豆(まめがら)を燃やせば,豆は釜中に在りて泣く。
本(もと)是れ同根に生ぜしに,相ひ煎(に)ること 何ぞ
太(はなは)だ 急なる」
このような歴史を繰り返すことは、人類の悲劇が続くことです。
いまこの時代に生きる私たちの義務は、子孫へ悲劇を渡さないことです。
いつまでも、お金や権力、権威に夢中になっていたら、同じ過ちを
繰り返すことになります。
静かなお正月です。
この平和がいつまでも続きますように。
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