LORANの日記
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| 2006年03月13日(月) |
スピリチュアルなことをしていれば神様は見捨てない? |
ある著名な方のメルマガにそう書いてありました。
確かにその方も、きっとスピリチュアルなことをしてきたのでしょう。
スピリチュアルなことをしていれば何とかなるのでしょうか?
しかし私はそれだけでは甘いと思います。
私たちが大きな間違いをしているのは、神様を見ないで人を見ているからです。
神様の声を聞かないで、人の話ばかり聞いているからです。
神様を感じないで、人のうわさや評価を気にしているからです。
神様がこんなに困っている自分を助けてくれないはずがないと思っています。
こんなに小さな子どもを助けないはずがないと思っています。
これは人情とという人間だけの感情ですから、神様には通用しません。
しかし神主や僧侶は人情で話をします。それがまるで神仏の気持ちを伝えているような
誤解を生んでいます。
人情は人間だけの感情です。
「かわいそう」という感情は人間だけの固有の感情です。
人間は人情をとても巧妙に自分本位に使います。
ペットならかわいそうでも、魚や植物はかわいそうではありません。
自分が食べるときはおいしいと言いますが、自分が食べられるのは困ります。
かわいそうを連発する人は、自己憐憫な人が多いと思います。
こんなに自分がかわいそうだから、みんなに優しくしてもらいたいと言いたいのです。
自分に優しくしてくれることを要求していますが、優しくしてくれなければ攻撃します。
このように人情はとても身勝手です。こんな身勝手な要求を神様が聞いてくれるはずがありません。
それなのに毎朝神仏に手を合わせて、ああしてくれ、こうしてくれと要求ばかりしています。
そんな身勝手な人を神様は遥か高いところから慈愛の眼差し(まなざし)でみてくれています。
それは「お前たちを信じているよ。だから自分で幸せになりなさい。」との思いです。
私たちは神様の子であり、分身でもあります。
どんな現実でも現実化できるのは、自分が創造神だからです。
ですから神様は私たちが幸せになると信じて見てくれています。
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