ぴんよろ日記
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(今回、かなりアヤシイです。)
昨日はそもそも、武雄にでも行こうと思っていた。昔ながらのラーメン食べて、かろうじて残ってるかもしれない紅葉を見て、温泉入って、ホワイト餃子を買って帰ろうかな、なんて。でもなんとなく、なぜか反対方向の島原に「白石の唐揚げ」を食べに行くことになった。そしていざ調べてみたら、お店で定食を食べられるのは、島原よりももっと南にある布津のお店だったので、そこを目指した。唐揚げも照り焼きも、期待していたよりもおいしかったのでホクホクとして、せっかくここまで来たので、島原半島を南回りで帰ることにした。(唐揚げが島原だったら北上するつもりだった) いまでこそ合併して、みんな「南島原市」になってしまっているが、島原を南に出ると、深江、布津、有家、西有家、北有馬、南有馬、口之津、加津佐と続く。それぞれに少しずつ、空気が違う。しばらく走ると、「日野江城」の看板があって「あっ…こっちは、そうか、そうだった…キリシタンの史跡だらけだ…っていうか…ってことは、も、もうすぐ…」と思う間もなく、島原の乱の「原城」が近づいてきた。こないだの「旅」の重さがまだ抜けていないので、行く気にはまったくなれなかったが、車から見たその丘には、「そう思って見るから」では説明のつかない「なにかたち」が、ものすごい密度で立ちのぼっていて、しかもこちらを向いている気がして、その瞬間、体中の細胞が「もはぁっ」とむせるような、吐き気とも震えともつかないような、とにかく原城の丘が視界から消えるまで、異様な感覚に包まれた。 それはしかし、私を攻撃したり非難している感じではなくて、そのあと「あれはなんだったんだろう…」とゆっくり反芻していてよぎったのは…「私たちもいますよ」ということだった。長崎と外海をめぐり、五島のこともわりと話した先日の「聖地巡礼」だったが、島原半島でのことは、あまり触れなかった。もちろん無視したわけではないのだが、どちらかといえば「いまとつながっている」部分を見ていったので、島原の乱で「全滅」して断絶した信仰、あるいは雲仙の地獄での拷問など、1泊2日で回るには、距離的にも心理的にもあまりに重かったのだ。だから、そう思っていた私の無意識が、原城の丘を見たときの妙な感覚を起こさせたのだ、というのが「科学的」な答えではあるのだろうけれど。 そしてあらためてわかったのは、原城のすぐ近くに、平和祈念像を作った北村西望の生家があることだった。私は平和祈念像がちっとも好きじゃないけれど、あの、某プロレスラーがモデルと言われるだけあって、平和というよりは戦いっぽいあの像が、なぜあそこで妙な格好をして座り続けているのかの理由のひとつが、こりゃトンデモ説だとわかりつつも、浮かんできた。あれは、原城にいまもいる人たちの想念のようなものでもあるんじゃないかって。西望氏がどういう心情であれを作ったのかはわからない。でも、あの地にいまだ強く存在するものたちが、「使えそうな」彼を動かしたのかもと思う。自分たちが島原の乱で死に絶えたあとも、命を長らえながら信仰を守り、復活させた浦上。そこに落とされた原爆。浦上のキリシタンの大部分を含む死者は、約7万4千人。しかし、あの小さな原城の丘では、その半分に当たる3万7千人が亡くなっているのだ。その「ピンポイント死者密度」の高さは、原爆とさえも比べものにならない。 原爆落下中心地や平和公園とその周辺には、平和祈念像を「親玉」に、異様な彫刻やらなにやらがうごめいているのだが、それは原爆というものがあまりに激烈なものであったから、70年が経とうとしているいまも、衝撃や痛みが未消化、未浄化であり、そのひとつの現れなのではないかということが、こないだの「旅」で話された。私も「あまりに強くぶん殴られたから、いまもまだ脳震盪状態」ということは、ずっと感じてきた。だって「普通の死」であれば、五十回忌でもう弔い上げのお祝いなのに、8月9日の式典は、遺族や参列者はもちろん、それを撮影するニュースのカメラマンだってまだ喪服なのだから。それと似たようなことで、島原の乱はまだぜんぜん「終わってない」のじゃないだろうか。「キリシタンの受難」という点ではおなじ意味を持つ場所で、あの像は密かに「かつて私たちは戦って死んだ!私たちはたしかに生きた!」と、訴え続けているのではないか。 長崎で処刑されたキリシタンは「殉教者」と呼ばれるが、島原の乱は、百姓一揆その他の要素もあるために、だれも殉教者とは認められていないらしい。「そうでない人」も多くいたのかもしれないが、「そうだった人」は、やりきれないだろう。つまりはぜんぜん「弔い上がってない」わけだ。 とにかくもう、どっちにしても、なにもかもがつらいな…といろいろ考えながら、南蛮船来航の口之津の公園でひと休みしたら、原城方向に、消えかけている虹の根っこがあった。「聖地巡礼」の2日間、何度も虹が出ていたから、「あぁ、続きだったんだ。『ここにもある』って教えてくれたんだ。忘れてたわけではないけど、やっぱり申し訳なかった」と思うしかなかった。でも思い出せてよかった。加津佐の海でガラスを拾い、小浜の「おたっしゃん湯」に入って帰った。
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