ぴんよろ日記
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2011年10月07日(金) 続くかぎりは

 眠たいと思ったら、朝5時の「くんち開始決定花火」と、それにともなう「ダンナ出勤」から起きてたんだった。
 今年のくんちは中継で観覧。7年前は諏訪神社にいたなぁ〜、と思いながら。川船の網打ち船頭を見ながら、ヒコは「おれもやりたい!」と言っていた。でも、コッコデショの采振が、やっぱりサイコーにカッコいいよなぁ…。次回、ドンピシャで采振の年齢なんだけどなぁ…。「研究所」を樺島町の安アパートかなんかに借りるとか…?広がる野望…。

 こうして、くんちくんちと言ってるが、長崎に生まれ育ったからといって、くんちに熱くない人のほうがむしろ多いことくらいは知っている。でも、人生にひとつくらいは、心と身体がわけもなく熱くなる祭りがあるほうが幸せじゃないかとも思う。熱くなれなくてもいいから、自分がいつも住んでいる土地の力を、バカになって寿ぎ、揺らし、増幅させてくれている人がいることを、少なくともイヤなものだとは思わないでほしい。船やコッコデショが来るのを待ってると、人の波をかき分け、流れとは逆のほうに向かい「忌々しい!」という顔をして(時に怒りの言葉をまき散らしながら)歩く人をよく見つけてしまうので(哀しき観察者人生)。

 お下りを見に行ったら、いつにない人出だった。いつもは車がぎっしりの4車線の道路が、御神輿と行列と人間でいっぱい。見えもしない「神さま」のために、秋の晴れた日の貴重な時間を割いて、ごった返す人たち。ほとんどは、いつもは1円でも安い店を探して買い物したりする「合理的」な人たちなんだろうけどなぁ。

 ニラレバ定食を食べてコーヒーを飲んでいたら、マスターから「今年(のコッコデショ)はどう?」って聞かれたので「その年その年で、人も違うし、いろいろありますよ…」と答えつつ、マスターが小耳に挟んだ「コッコデショ評」各種を聞く。まぁ、似たようなことを感じている人もいるし、だからといって、いつが良かったとか、今年がどうだとか、そういうもんでもない気がする。私にとっては、前回があまりに思い出深いので、それはそれで特別だし、いろいろ言えばキリがないけれど、そういう目に見える部分の問題だけではないから、続くかぎりは続いていくだろう、というしかない。前が良かった、昔が良かった、というのは、いつの時代の年寄りも言うものだ。

 今朝、「『研究所』のパンフレットと月報を送ろう。住所、どこに書いてたっけ」と思い浮かんだ人のダンナさんとバッタリ会って驚く。もちろん渡す。


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