ぴんよろ日記
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2011年09月21日(水) ヘトマト、トンデモ、ゲンパツ

 乳の吸われすぎが続行中で、どうやら軽い栄養失調なのか、味覚障害があらわれた。いろんなものが苦い。
 そんな中でも意識の大半は原始や古代の信仰の世界にあるが、そっちの原理で見ると、いわゆる「トンデモ祭り」や「奇祭」と呼ばれるものが、全然「トンデモ」でも「奇」妙でもないのがよくわかる。五島のヘトマトだって、不思議でも不可解でもなんでもない。古の人々にとって、祭りは切実かつダイレクトに生活や生命とつながっていたのだから、その始まりに「ウケ狙い」や「悪ふざけ」が入っているはずがないのだ。ましてや見物人をたくさん呼ぼうとか、観光の起爆剤にとか、そういうものはカケラもない。
 でも、その一方で、トンデモはトンデモのままでもいいと思う。とにかく生の祭りに参加して、体や心の奥底が、言いようもなく揺さぶられた、というので充分だ。理屈はわからなくても、それが祭りの生命に触れるということだと思うから。ヘトマトの種明かしをしたところで、幸せな人が増えるとも思えない。事実、私は少し寂しい。でも、観察者人生なので、それは積極的に受け入れる。だけど本当は、なんやらわからんけど炭を塗ったくられて、デッカい草鞋に揺さぶられて、羽根つきをする新婦さんを見てゲラゲラ笑った、というので、もう、いいのだ。イヤなのは、頭でわかって鼻で笑うことである。笑うなら、心から参加して腹から笑わなくちゃ。

 しかしなにが「トンデモ」って、原発よりトンデモなものがあるかいや、と、前々回のDASH村を録画しといたのを見ながら思った。思い起こせばかなり初期から見続けてきたDASH村。福島原発からたった25km…。あっけなく荒れ地になっていたのはまだしも、焼けたわけでも水没したわけでもないのに、見ることもさわることもできない恐ろしいものがあふれ、縁側に座ってお茶を飲みながら、ぼんやり風に吹かれることもできない。

 「トンデモつながり」ってわけじゃないけれど、原発のことを、古代の信仰になぞらえて考えてみると、これが案外、自分の中では腑に落ちた。水がたゆたう原子炉の映像を見るたびによぎった感覚も、あながち遠くはなかったのかもしれない。

 まあるい空間に棒状のものを立てることで、カミは現れる。「ゲンシ炉」に「ネンリョーボー」を突っ込むと、たいへんに大きな力を持つゲンパツ神が現れる。人々はその力のひとつを「デンキ」として大いに使っていたのだが、大変な地震と津波で、祭祀の場がひどく乱れてしまい、これまでなんとか加減しながら封じてきたはずの「ホウシャノー」という、とても障りのある、もうひとつの力が大量に発生してしまった。ゲンパツ神を祀ってきたのは「ゲンシ村」の神官たちだが、これにより、自分たちが縛り首になるのではないか、はたまたゲンパツ神が零落することで憑物筋として貶められるのではないかと恐れ、むしろ強気に、これまでより偉そうにする道を選ぼうとしている。

 …と、書いたところで時間切れ。続きはまた次回。


 
 


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