ぴんよろ日記
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2011年08月11日(木) 成仏のすすめ

 いつどこでどうやって開催するのかもわからない「たのしい小冊子づくり〜リトルプレスワークショップ」のテキストを、コツコツ作成。でも、作っていると楽しいし、どうにかなるような気がする。なんでこんなこと思いついたのだろうと考えるのだが、なんか、ここらで自分にできることを世のため人のためにお返ししたいというようなことかな、と思う。いま、情報も体験も、それにともなう「パソコンにたまった写真」などなどもどっさり持っている人が(自分も含め)多くて、なんとなく「頭ばっかり大きくなって、しかもその中の風通しが悪い」状態があちこちで発生しているような気がする。それが、小冊子を作ると片付くのだ。片付くというか、成仏する感じ。私自身が、雑誌での長年の連載群を、いわゆる「リトルプレス」にして、それが幸運にも出版に結びついたのだけど、「これで成仏した…」というのが、本当に大きな気持ちだった。人や物にかぎらず、写真のデータや旅の思い出など、「いつか整理しなくちゃな…」と気にかけけられたり忘れられたりを繰り返しているものたちは、成仏できないまま、パソコンや頭の中でうごめいているのだ。もちろん、ハナから写真を撮らない人や、撮りっぱなしでもまったく平気な人、文章を書くなんて思いもつかない…私のダンナのような人はそれでいいのだけど、なんとなく「心の倉庫の荷物が増えていっている」人は多いと思う。それらは現実の物体とおなじで、心の動きをどんどん鈍くしてしまう。だから、少しずつでも、手に取れる形あるものに「成仏」させることで(「成物」か!?)、荷物を軽くし、風通しを良くする手助けができればと思うのだ。頭の中やデジタルデータのままで世に生まれでていないものの「重さ」を軽んじてはいけない。それは実際に小冊子を作った時の爽快感を味わうと、とってもよくわかる。「あぁ、背負ってたんだ…」と。写真だったらアルバムを作るといいし、私もアルバム作りは時々するのだけど、たとえば、ちょっとした考察を交えた歴史探訪の記録など、どちらかといえば字が多くなるようなものや、同好の人たちに渡してみたいものなどは、小冊子が向いていると思うし、なにより私が微力ながらアドバイスできるのは、そのようなものなので、とにかくテキストを仕上げてみよう。
 「産婆役」が好きなんだな、とも思う。自分が考えたいものや書きたいものもいろいろあるけれど、誰かがその人の世界をかたちにする時に、手を添えて産まれやすくする、っていうようなことにも心ひかれる。春までケーブルTVでやってたのは、そういうことだった。まぁ、前世では坊さんだったそうだから、あの世とこの世の方向が逆になっただけで、この世では産婆なのかもしれない。境目で立ち会う人という意味ではおなじだから。


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