ぴんよろ日記
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2005年03月12日(土) ありがちな石つぶて。

どんなに長い日記を書いても、
次の日には、また何もないスペースが広がっている。
ここ数日、その不思議さに、ポカンとしてしまう。

さすがに作りすぎたかと思った沖縄料理は、しかしほとんどなくなった。
料理を、作るのも大好きなんだけど、なくなるのがすごく好き。
ジューシー(炊き込みごはん)とそばが残っていたが、
さっきお泊まり組の2人が平らげて帰ってくれた。
あとは和え物などがちょこちょこ残っているのを、夜食べよう。
メインだけ作って。
そういう感じもとても好きだ。

朝からパタパタと、電話やメール。
かかる日はかかるし、かからない日はかからない。

外は時々雪だ。
昨日取材しておいてよかった。今日はその原稿を書こう。
ひとりでとぼとぼ歩いて取材をしていたら、
そのページを読んでくれている知り合いとバッタリ会った。
「こないだのも、面白かったよー」と言われてうれしかった。
昨日歩いたところも、何度歩いたかわからない所だったけど、
やっぱりそこからなにかを考えようと思って歩くと、違うものが見えてくるし、
考えてもみなかった、でも、考えつくと、そうとしか思えないようなことが、
次々と浮かんでくる。
もちろん、そこでいろいろな時間を過ごしたり、
断片的に考えたりという「下地」があってこその部分は大きいけれど、
意識的に見るか見ないかということは、
扉を開けるスイッチがあるかないかくらい違うことだ。
たとえその向こうに広がっているものがおなじだとしても。
いや、むしろ向こうに広がっているものは誰にでもおなじで、
どこのどんなスイッチをどう見つけるかが問題なだけだ。

こんなことを考えていると、向田邦子さんへ投げつけられたという、
「あの年代を過ごした者なら、あなたが書くようなことはいくらでもあった。
 それを書いて作家先生を気取るなんておかしい」
というような批判じみた言いぐさを思い出す。
それって裏を返せばすごい褒め言葉なのだが、
なにげないと思われがちな時間や空間から、
なにかしらの結晶をつかみとって見せたいという道を歩む者には、
きっと、いつでもついてまわるタイプの石つぶてだ。





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