ぴんよろ日記
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2005年03月05日(土) 対等で、手探りで。

なにごとも、使う、とか、使われる、じゃなくて、
やっぱり対等に渡りあっているときに、
おもしろくていきいきとしたものが生まれてくるのだろう。

と、あいかわらずYMOの、しかもかなり初期のライブ盤など聴いていて思う。
コンピューターやシンセサイザーなどは、
いまはもう、道具ってみなされていて、「使う」ものなんだろうけど、
当時はまだ(人間自身が作っておきながらも)
「コイツらなにものなんだ?なにができるんだ?」っていう存在で、
とにかく人間の側がおもしろがってぶつかっていって、
機械と一緒に新しい音の世界をのしのしかきわけて開拓していたのだ。
当時を振り返るインタビューを読んでいると、時々、
「このシンセから出せる音は全部出したと思った」
というような話があったりして、ふーん、と思っていたのだが、
ほんと、初期のライブを聴いていると、とにかく演奏がいろいろで、
なるほど、思いついたことはじゃんじゃんやり倒してたんだな、ってわかる。
そしてすごく楽しそう。
こんなに手探りな感じでいま、
一見いかにも手探りじゃない音楽をやってる人がいるんだろうか。
それとももうできないのだろうか。

「対等で、手探りで」っていうのは、
すべての、どんなささいなものを作るときにも当てはまると思う。
(もちろん自分自身に対しても)
関わる人々の間に、例えば社内的な上下関係や日頃のあれこれがあったとしても、
そのものを作る時の気持ちの向き方だけは対等じゃないとダメだろう。
「だれかが「俺が上だ」「どうせ俺は」と思っていて、
 しかも「こんなもんだ」とタカをくくって作る」
ものに、いいものなんてありっこない。


そういえばダンナの名言(2,3日前に発生)を思い出した。
「YMOって、イエロー・マジック・オーケストラの略やったと?」
…そ、そうですがな。


◇◆◇


昨日はすばらしくおいしいウニが届いて、陶酔した。
おいしいものは、やはりおいしい。
そして世の中には多くの陶酔させられる食べものがあるが、
私にとって瞬間最大陶酔度が一番高いのは、どうやらウニだ。
ウニの味と脳みその浮遊感が同調するっていうのが、
よくわかんないけど、かなり近い表現。
我を忘れて食べた。昔から
「みどりちゃんのウニを食べるときの顔は面白い」って言われていた。



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