ぴんよろ日記
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| 2005年02月18日(金) |
それぞれのとっかかり。 |
とっかかり、なのだろう。
いろんな宗教があって、私がおととい読んだ本の世界的宗教もそのひとつで、 その宗教を信じる性質を持った人は、何かが「事実」かどうかってのが気にかかる。 だから「事実なんだから私たちが信じていることは正しい」って言いたがる。 あるいはまた別の宗教なら、別の基準があって、 まぁその中にはインチキな感じのものもあり、提唱者にお金が入ることもある。 でも結局は、心やものごとの「ままならなさ」と、 ままならなさの波を、どういうふうに、どんな格好で乗っていくかってことを、 いろんな方法でわかりたいだけなんじゃないのだろうか。 その「とっかかり」と方法が、宗教というかたちで提示されている。 あとは「ゆだねること」の快楽。
なにか人には本質的にままならないものがあるってことをわかることと、 それに心のある一線を越えたところまでゆだねてしまうことは違う。 ゆだねれば楽になるだろう。様々な行動もそれに沿っていけば、 少なくとも自分の中では間違ってないと思うことができる。 しかし「ゆだねること」が「信じること」なのだとすれば、それは私にはできない。 私は私を、たとえば希薄にしていくことも含めて、 ままならないなりに、やって行ってみようと思っているからだ。
◇◆◇
とかなんとか、ややこしいことを考えながら、 お昼ごはんは納豆と豚の薄切り甘辛いため、エノキのみそ汁。きんぴら。 上記のような「ややこしいこと」とは何の関係もない仕事を、ボチボチ。
夜はたぶん、かんしゃく。 明日で餃子が終わってしまうので。涙。
涙と言えば、私が最も暗い気持ちになるもののひとつが、 保健所で殺される犬や猫のことを考えることだ。 ちょっとでも頭をよぎると、しばらくはブルーになる。 甘いと言われても何と言われても、とにかく反射的にブルーの底へ行く。 どうして野良猫や野良犬がいちゃいけないのか、心の底からわからない。 そんなに人間だけで完結したいのかな。 人間だって野良でいいじゃんと思ってるからかもしれないが。 「傲慢」って言葉から連想するのも、このことだ。 それでもって、めぐりめぐって、本当はもぎくんを飼っていることが、 すごく嬉しいけど、後ろめたい気持ちもある。背中合わせのことだから。
◇◆◇
ダンナが朝から「急に会見が入ったから早く来れる?」と言われて出て行ったが、 昼のニュースを見たら、 「(ダンナの父が死んじゃった)病院で医療ミスがあって人が死んだ」 ってニュースだった。 「よりによって」とはこのことか。行きたくなかっただろうなぁ。
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