ぴんよろ日記
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2005年02月03日(木) 鬼受難の日に。

昨日の夜は念入りに体操したら、
悪いものがいろいろ出て行こうとしたみたいで、
猛烈な寝汗をかいた。
時々目が覚めるのだが、ちょっとでも布団の隙間ができると、
ふだんではそこまで感じないくらい寒く感じる。
背骨にずおーんと寒気が走る。でも朝には抜けていた。
つまりは一晩のうちに風邪をひいて治したということみたい。
いまアオサと玉子の雑炊を食べて、体の労をねぎらっているところ。
だいぶ体のコントロールができるようになってしまった。
要は注意深く観察することと、本当にどうしたいか耳を傾けることだろう。
体に悪いことって、だいたい本人はわかってやってしまうものだから。
やってしまったら、そのぶんを戻せばいいのだけど、
これもつい流してしまいがち。
そしてすごく大きいな、と思うのは、食べ過ぎないこと。
食べ過ぎないことをできるようになって、かなり体が変わった気がする。
不思議なことに、ふだん食べ過ぎないでおいて、体を整えておくと、
いざ!というときにスイッチを入れると、ガツーンと食べられることもわかった。
焼肉とか。

でも、心に関してもそうだけど、
「ダメだとわかっちゃいるんだが、どうしてもそっちにひかれてしまう」
ということが多々ある。食べ過ぎとか飲み過ぎとかもそうだし、
ヘンなカッコで本を読んでしまうとか、うたた寝しちゃうとか、
人には言えないようなこと一般とか、極端な場合は犯罪とか。
そりゃみんなよくないかもしんないが、
だったらなぜここまでバリエーション豊富にあるんだろう。しかも魅力的に。
それはやっぱり「ダメなこと」が魅力的だからだと思う。
それだけ、そこだけ見ればダメなことでも、
トータルで良ければいいんじゃないかと思うんだがどうだろう。
振れ幅の小さい人って、つまんない。
そして何かを隠し持っていることと「嘘」って、違うと思う。
隠し持っていることも含めてのその人、とは思えないだろうか。
意識的、無意識的なものも含めて。
なんでもさらけ出せばいいってもんじゃないのでは。
さらけ出すとか、許すとか、よく美しいものとして語られるけど、
そうかなぁ。
やってる時は気持ちいいかもしれないけど、なにかに対して失礼な気がする。
あからさまなものが嫌いってのもあるけど。

まー、犯罪はね、さすがにまずいですが。
それにしたって、何をもって犯罪として、
国家権力がお縄を持って追いかけてくるかってのは、
明らかな人殺しや強盗なんてもの以外は、その時々で微妙だったりするし。
坂本龍一さんの本に「いま自分が戦前の日本にいたらどうだろうって考える」
「どこまで拷問に耐えられるだろう」というようなことが書いてあって、
私もそれは以前から考えていたことだったので、
やはりそうかと、ズーンとした気持ちになった。
たとえば戦争に向けて日本が盛り上がってしまい、
いつも仕事をしている広告代理店から、
「お国のために」的ポスターのコピーを書いてと言われて、
さてどうする、というようなことから始まるだろう。
「書けません」と言ってもいいけど、その夜には暗く鋭い目つきの男たちが、
この部屋のドアの前を囲み、しばらく私は家を空けることになるだろう。
そういうことだ。
そしてさほど突拍子もない想像だとは思えない。

…食べ過ぎの話から、だいぶ遠いところまで来てしまったなぁ。
昨日受けた、とある「あ〜ぁ」のダメージが少々大きかったみたいで、
しかしそれで逆に前向きになってたりするのが、心の神秘である。
私にとっては「逃げてんなぁ、逃げとくしかないもんなぁ」と思えるが、
世の基準から言えば、そっちの方が正しいことだったりして。

そんなことを考えていたら、テレビの中継で幼稚園の豆まき。
「心の中の鬼を豆に閉じこめて投げてみましょ〜う」
らしいです。
「みんなの心にはどんな鬼がいるかな〜」
だって…きゃぁ!こわい!よかった、こんな幼稚園で育たなくて。
しかも豆は、ビニールに入ったまま投げられている。お手玉みたいに。
豆の粒々さ加減が、いろいろ「危ない」ってことなんだろう。
ハァ…。バカくさ…。投げられる前にビニールで窒息する鬼さんであった。

鬼、好きだけどな。飼い方次第だと思うけど。
付き合い方だろう。退治じゃなくって。

…さりげなく話がまとまってるような気も。






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