ぴんよろ日記
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昨日の「情熱大陸」。 久しぶりに「あっ、これは絶対見よう」と思ってテレビを見ました。
青森の伝説のマグロ漁師の「復帰戦」を追いかけていたのですが、 (あまりにも釣っていて、人望も厚く、それゆえ漁協の会長を務めさせられ、 3年間船を降りていた。人間社会は残酷です) いや〜、しびれたです。 小さい頃から船に乗り、魚を取ることがすべての人。 追いかけているのは、1本2〜3百万のでっかいマグロ。それだけ。 ディス イズ 漁師。 1ヶ月の約束で取材していて、結局釣れなくて、昨日の段階でもやっぱり釣れてないらしいのですが、 いや〜、よかった。 釣れずに帰って温泉センターでビールを飲んでいると、 脂ぎった町会議員が挨拶していく、というシーンがあって、 もう、その人たちと並ぶと、余計に人間の空気が違う。 とにかくいらんものが何もない。 もし荒れる海に飲み込まれることがあったとしても、 すぐに即身仏になれそうな感じ。 とてもすがすがしい気持ちで見ていました。 過不足のない人生、なんてことを考えながら。
そういえば、昨日はジョン・レノンの命日でしたね。 「情熱大陸」のあと、「あっ」と思ってチャンネルを変えたら、 オノ・ヨーコさんのインタビューの、最後の最後でした。 でも、こないだポール・マッカートニーのライブ盤をちらりと聴くことがあったんです。 ビートルズナンバーをたくさん歌っていて、 そのとき思ったのは、長く生きるのも悪くないな、ということ。 特にアーティスト関係の方々は早く死んじゃう方がかっこいいことにされがちで、 さらにビートルズのジョンとポール、ってことになると、 当然のことながらジョンはスラリとしたまま人の心に生き続け、 その一方でポールのシワは増えていく。 でも、生き残って、歌に味を付けながら歌い続けていくというのは、 やっぱり生きたモン勝ちなんだ。 若いビートルズの歌が耳に焼き付いているだけに、 いまのポールの歌声は、なんか、月日と、それによってだけできる味があると感じます。
死んで印象づけるのもアリかもしれないけど、 生きて広め続けるのも、決してそれに劣るものではない。
漁師の濱端さんだって、伝説の人のまま、船を降りっぱなしでも良かったんじゃない? という考え方もあるかも知れないけど、 そういうことを考える人は、突き詰めれば脂ぎった町会議員になっていくような人で、 釣れないリスク、荒海で死ぬかも知れないリスクを分かっていても、 海に出るしかないと思う人間とは、 黒人、白人という分け方以上に人種が違うのだ。
生きていれば、するし、 死んだら、それまで。 生きつつ、しないという選択肢はありえない。
濱端さんは、人が知らない風が吹いている所に立ってた。 「ピュアな魂選手権」で頭が一つ抜け出しているようだった。 釣れてるかなぁ、マグロ。
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