ぴんよろ日記
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| 2002年08月21日(水) |
そういや、ダメだったなぁ。 |
「ねずみ島」が100年らしい。 ねずみ島というのは、長崎港の出口あたりにある島で、 今は埋め立てが進んで、地続きになっている。 昔はここで水泳教室があっていたのだ。 「長崎っ子の夏休み」は、ねずみ島と相場が決まっているとかいないとか。 島で泳げなくなってからは、市民プールで開かれている。
そこでは上達の度合いが帽子で分かる。 まずは白い帽子に短い赤い線が一本から始まる。 それが何本か積み重ねられると、白い帽子をグルリと赤い線が一周する。 「赤線一周」なんて、なんとまぁ違う意味に取ってしまいたくなるが、 そういうものからはいちばん遠い、健全な子どもたちの世界である。 さらに上達すると、…どうだったっけ、赤い線がまた増えて、 たしか増えて仕方なくなると、帽子自体が赤くなるんじゃなかったかな。 そして次は白い線が増えていく。 …先生たちは黒い線の帽子をかぶってたかしら? そのレベルになると、もう雲の上だ。
教室が始まるのは朝の9時。 出島の門鑑みたいな(すごく分かりにくい例え)木の札を、 首からぶら下げていく。プールまでは電車で通っていた。 その時間の電車は、上層部には大人、下層部には木札を下げた子どもが充満している。
だいたい友達同士で申し合わせて行くのだが、今思えば私は一人だった。 月・水・金のA班と、火・木・土のB班があって、みんながB班にしていたので、 なんとなくA班に申し込んだのだった。三つ子の魂百まで。 そのころの自分に「相変わらずだなぁ」と言ってやりたい。
たしか3年間くらい行ったと思う。 5・6年生の時は行かなかった気がする。 赤い線は短いのが3本で終わった。3年かかって3本…。 そう言うと、かなりのカナヅチさんのようだが、そんなことはないです。 これでも中学では水泳部に入り、全然たいしたことない大会でなら、賞状をもらったこともあるんです。 ではなぜ3本しか取れなかったのか。 それはとても簡単な話です。
行かなかったから。
夏休みに、しかも朝9時に、ラジオ体操が3日しか続かない子どもが、 どうやって昇級試験を受けるというのだ…。 3年間、ノリで申し込み続けたのだ。 それは試験の前の夜「明日の朝起きてやろう」と思うのに似ていて、 本当はできもしないこと。もちろんできなかった。 さらにみんな揃って何かをやることも、やはり小さいころから苦手であり、 土台無理なことだったのだろう。
水泳、ラジオ体操、そういう尺度で測られてしまうと、 私はまったくのダメ人間であった。 (もっとダメなのがダンスと行進。こちらは人間失格レベル) いまも夏休みの終わりに、その水泳教室が「立ち泳ぎで大名行列」なんてやってると、 ちょっとだけシュンとなる。
良かった、もう子どもじゃなくて。
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