ぴんよろ日記
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いま、8月15日の4時過ぎ。 街からは爆竹の音が、バラバラバラ…と聞こえてくる。 トタン屋根にヒョウが降っているような音。
バイクで走っていたら、精霊船もあちこちで仕上げに入っていた。 完成して記念撮影をしている家族も。 なにかに胸を締めつけられて、泣きそうになりながら通り過ぎると、 竹線香の匂いがした。 ますます泣きそうになってしまった。
ゴンゴン…鉦の音が聞こえてきた。出発しているのだろう。
竹線香って、そういえば長崎ならではなのでは…。 …いま検索してみたら、オシャレなお香、あるいは「日本以外のアジア」で使われている線香だということだ。 ということで、長崎は日本ではないのかも知れない。 長ーい竹ひご(ドピンク)に黄土色の線香成分がまとわりついているもの。 お墓には、緑色の線香じゃなくて、これをあげる。
昨日の墓参りも私にとっては「毎年の光景」だったけど、 初めて本格的に「墓巡り」に付き合わされたダンナ(鳥取出身)は、 ずっと「?」な顔をしていたし、2年ほど前に長崎に移り住んできたカメラマン氏(親戚)も、 かなり興奮気味で墓巡りをしていた様子だ。 たしかに長崎のお盆の墓参りは、まったく辛気くさいものではなく、お祭りに近い。 死んでいる人の家「墓」に生きている人が集まってきて、楽しくやってるという感じ。 1年に1度、墓場でしか会わない親戚もいたりする。 そうなると自分たちが生者なのか死者なのかよくわからなくなって、 まぁどっちでもいいや、100年たったらみな同じなどと思ってしまう。
お盆の墓参りは定点観測のようなもので、 去年までいた人がそこに入ってしまっていたり、 新しい人間が発生していたりする。 ほんとうに、生と死、あの世とこの世は、思っているほど遠いものではく、 もっとグジャグジャで身近なものなのだと感じる。
私はこの「街のすぐそばにある斜面にびっしり貼り付いた墓場を、 花火を交えながらじゃんじゃん巡って親戚にやたらと会う」 というスタイルのお盆しか知らないので、逆に「静かに自分の家の墓だけ参る」という感じが分からない。 大学生のころ他県の友だちに「そんな墓参りのスタイルは不謹慎だ」というようなことを言われて、 けっこう大きなショックを受けた。 だったら長崎は不謹慎な街だということになるんだが、それはまったく違うと思う。 私は他の街で死者やホトケになるより、長崎でそうなりたい。 精霊流しは盛大にやってもらいたいし、墓ではどんどん花火をしてほしい。 久しぶりの親戚や知り合いや同級生に偶然会って、ワッハッハ、元気ですかなんて会話をしてもらいたい。 余所の人から見たら不謹慎でクレージーなお盆。 でも死者にとっては居心地のいいものなんじゃないだろうか。
さて、トニーの船でも流して、精霊流し見物と参りますか。
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