ぴんよろ日記
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2002年01月09日(水) 鹿児島最終日、熊本でショック。

「いか」の朝は早い。
私たちにしては珍しいというか、まれというか、早起きする。
早起きしかすることがないと言ってもいい。
宿を出ると、車が完璧に潮をかぶっていて、オットは暗い顔をしている。
でも坊津の町はとてもいい雰囲気で、こんなにも寒くなければ、
たっぷり散歩&写真撮影をしたかった。でもでも寒いので、車に乗る。

笠沙は焼酎の杜氏をたくさんだしているところだ。
長崎で言えば小値賀のような存在なのだろうか。「笠沙杜氏」という言葉もある。
このあたり、薩摩半島の南西部分は、とっても海岸線が複雑で、対馬にも似ている。
昨日訪れた「立神」というところなど、ビューティフルな断崖絶壁が広がっていて、
岩好きにはこたえられない場所だった。波もドカーンと上がってたし。
そんな複雑な海岸線に沿って、どんどん車を走らせる。風が強くて、猛烈な白波。
…白波?し、ら、な、み?そうか!これって、本物の「さつま白波」ではないか!
ただこの日の風が強かったから、たくさんの白波が立っていたと言えば言える。
でも、私がこれまで見た白波の中でも、
特に美しく、たくさんで、印象に残る白波なのだ。
あぁ、さつま白波。そう思うといよいよ見ほれてしまう。
(後日その話を鹿児島旅行をしたばかりのハハにすると、
ハハもそんな白波を見たらしい。だからきっと、白波は「さつま」名物なのだっ!)

ということで笠沙。「焼酎資料館」がある。ここでしか買えない焼酎もあるらしい。
はじめは「入場料を払わずに、売店で焼酎だけ買う」と予定していたが、
焼酎を買って、さらに抽選で当たった人しか買えないという焼酎の申し込みもして、
やっぱり資料館も見てみることにした。
お客は私たちだけ。電気が私たちのためにスイッチ・オン。
係のおばさんが「びっくりしないでくださいね」と言う。
ガラリと入ると、いきなりハゲのジイサンが、焼酎を飲みながら座っていた。
ジイサンは笠沙杜氏のことについて、いろいろ説明してくれる。
電気の不調で、ジイサンの次に見るべき「立体映像で見る、焼酎の作り方」が出なくて、
もう一度電気のスイッチを入れ直してもらうと、ジイサンはまた一字一句違わず…。
あぁそうさ。人形さ。
暖房が入っていなくて寒かったので、足早に立ち去る。

野間岬という、鹿児島の「とっぺさき」があって、そこに行きたかった。
野間の街まで来ると、岬は見える。車で行こうとしたが、道が無くて行けなかった。
見えていても行けない。そんなところがあっても、まぁ、いいものだ。
野間の海辺には、犬のように繋がれたヤギがいた。2頭も。
話しかけてはみたが、犬猫のような反応はナシ。

果てしなく続く「さつま白波」を眺めながら、鹿児島市内に戻る。
昼食は〈さつま路〉で郷土料理の定食。芋焼酎お湯割りを1合たのみ、至福の時。
定食はいちばん安いので2000円もするのに、焼酎は200円。さすがだ。

〈薩摩蒸気屋〉で「かすたどん」を購入。もう、ベタベタな観光客ではないか。
ベタベタついでに〈むじゃき〉で「しろくま」を食べる。(ミニサイズを2人で)
店は三流ファミレスみたいだし、店員はやる気マイナス100%だったが、
「しろくま」はおいしかった。でももうあの店では食べたくない。

高千穂の神々しい美しさを眺めながら、熊本へ北上。
大好きな〈カルカッタ〉でカレーを食べて帰るんだ!

メニューを見ると、なんか、客を突き放した感じが漂う。
ここ数年、徐々にドライな感じに移行しつつあったのだが、
今回のメニュー改正は、なんかわざと客離れをうながしているような…。
前だったらカレー1種類とチャイまたはラッシーがセットで800円、
そんな友好的メニューがあったのに、
今回はいきなり1000円を超えるセットしか無い。しかも飲み物は別。
どうしたのかなぁ、なんて思いながら、でも大学の時から大好きな、
カッテージチーズのカレーが入ってたりして、おいしく食べた。
チャイ(別売り)を頼んだところで、宮崎さん(という人が店主です)が、
「店は、3月でたたみます」。
えっ、あ、そ、そんな、うー、しょ、ショック〜。
この店は、私の大学時代を象徴する空間のひとつだった。
ふらりと散歩して、お腹が減って、おいしいカレーを食べて、ちょっとしゃべって、
お酒も飲んで、あるいはじっくり話して、いろんな人がいて、いろんなことがあって。
この店が無くなるってことは、そんな時間が、遠くなるということ。

だけどいろいろ話して、とても納得した。
あ、別に経営が苦しくてたたむわけではないんです。
店を開いて12年、ちょうどひとまわり。
自分も、お客さんも、街も、変わらないものは何一つ無くて、
もうここでやることはない、というところに着地した、そんなところです。
1年くらいしたら、小国でまたやるだろう、とも。
それは、そうなんだろうと思う。
「ものみな移り変わる(by仏教聖典)」。目に見えることは、どんどん変わっていく。
だけど、そこには変わらないものもある。
たとえば私がその店で、たくさんのいい時間を過ごしたということ、
その時間が、今の私の一部を作っているということ、など。

そして、聞こうと思っていた、どんとのことを聞いた。
どんとがソロになって初めての熊本でのライブは、宮崎さんが主催したらしい。
本人は知らなかったが、この店でもよくライブをしていた人が、
胴元になってくれと言ってきたらしい。「変な男だったな〜」と回想してくれた。
車の運転など、社会的なこと(?)が苦手なようで、
店の前のブロックで思いっきりこすったらしい。ガリガリガリ〜って。
「でも、死んだって聞いたときは、不思議と、全然不思議だと思わなかった」
なんか、わかる。
いま、宮崎さんの子どもさんがどんとを大好きで、しょっちゅう聞いてるらしい。
なんか、わかる。

さて、そんなこんなで話は積もり積もり積もり…。

初日のことを思い出していただきましょう。

私たちは、フェリーの、往・復・券を、買いました。

もうおわかりですね。

「陸路でGO!」

めでたしめでたし。






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