ヲトナの普段着

2005年06月05日(日) チャトレの花咲く丘 /花畑に埋もれて

 ライブチャットと出逢って二年が経過した。腹立たしいことや悲しいこともあったけど、こうしていまでもチャットの世界に身を置いている。僕をここに留まらせたものは、一体何だったのだろうか。僕はここで、何を感じ、何を求め探しつづけてきたのだろうか……。
 
 
 アダルト動画の世界からひょんなことでライブチャットの世界へと足を踏み入れた当初、僕はこのコンテンツを単に、お決まりの内容でしかないエロ動画よりは、ばんたび違う素人の姿が楽しめたほうがいいだろうくらいにしか考えていなかった。いま思えば莫迦げている気がするものの、ライブチャット草創期にあって情報も乏しい環境では、そう考えるのも道理かと思ったりもする。
 
 始めて数ヶ月のうちは、それこそこの花道に書いてきたようなとんちんかんな男の醜態に近いものを、僕自身が演じてきていたのかもしれない。非道ともいえるような行為には及ばなかったものの、肌身で感じたものや自身の心の葛藤はあったわけで、いきなり現在のような心境に至るなどということはあろうべくもないだろう。
 
 わりと早い段階でアダルトチャットに飽きてしまったのは、年齢や性格的なものが理由として大きいのかなと思える。例えば温泉場に男衆で遊びに行った際に、若い頃はひと夜を伴にできる女たちを選んだものだが、ある頃から、同じ時間に金かけるなら皆でわいわいと楽しめる女たちのほうがいいと思うようになったそれに似ている気がする。金で買った時間というものを、自分なりにどう過すか。それはもしかすると、日本人が最も苦手な分野なのかもしれないけど、裏返せばそれが、ライブチャットを楽しむ秘訣でもあるような気がしている。
 
 
 チャトレから、「どうしてチャットに金かけなきゃいけないんだ」とお客さんに言われたと聞かされたことが何度かあった。じつは僕自身、ライブチャットを始めた頃にはそう思っていた。このようなコンテンツができる以前からチャットと親しみ、さまざまなフリーサイトでチャットしてきた者にとっては、金をかけてチャットすること自体が難解に違いない。
 
 けれどある頃から、僕のなかから「垣根」のようなものが取り払われていった。金をかけるかかけないかではなく、楽しい時間を過せるか否か。メッセでやり取りできる相手とはメッセで交流するし、そこに行かなければ逢えない相手であればポイント片手に出向いていく。ただそれだけのことだということに気づいた。
 
 チャトレのなかにも、そういう意識の子はいる。ライブチャットでチャトレとして客の相手をしながらも、逆にお金を払ってボーイズチャットに遊びに行ったり、フリーのチャットサイトで楽しんでる子だっている。お金がどうこうではなく、そこで楽しむためにお金が必要なら払うし、必要なければ払わないというだけの話なんだ。それを、あまり強引に、チャトレやライブチャットというものと結びつけてしまうのも、もしかしたら考え物なのかもしれない……花道に書いてきたこととは少々異なる物言いではありますが。
 
 
 ライブチャットには、「客を待っているチャトレ」がいる。それも、写真やプロフ、時間制限はあっても無料でみられるリアルタイムな動画付でだ。フリーのチャットサイトで好みの相手を探すよりは、確実にこちらのほうが速くて正確。そりゃもちろん、キャリアの違いや人間性の違いはあるけれど、フリーサイトでは体験できない世界が、ここには間違いなくある。
 
 僕がライブチャットをつづけてきたのは、他でもない、ここにチャトレがいるからだ。色とりどりの花を咲かすチャトレたちが、このライブチャットという名の丘では咲き誇っている。そんなお花畑のなかにこの身を横たえ、悠長に青空を流れる雲を眺めているのが好きだったのかもしれない。ときには、その花のなかのひとつに手を伸ばし、恋人を見つめる眼差しで花に語りかけたこともあっただろう。そしてときには、風に揺れる花々の様子を、静かに傍観していたときもあったように思える。
 
 「要するに女が好きなのね」と言われてもぐうの音も出ない状況ではあるけれど、綺麗な花に囲まれれば誰だって気分がいいだろと開き直れるのは、やはり歳をとったからなのだろうか。
 
 チャトレの花咲く丘で、きみも心を休めてみるといい……。


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ヒロイ