ヲトナの普段着

2005年05月30日(月) その子はチャトレ

 チャトレに恋する男は少なくないだろう。モニターごしの笑顔に胸ときめかせ、あたかも目の前にいるかの如く囁きかけてくれる彼女のことを、恋人のように感じたとしても不思議はない。よほど無謀なことをしない限りは、ふたりの間にはハートフルな会話が流れつづけていくのだから。けれど彼女は、チャットレディなんだよね。
 
 
 インターネットを俯瞰していると、面白いことに気づくことがある。これまでも幾度か触れてはきたけど、パソコンに向かう男たちの意識のなかに「一対一」という構図が根強いのも、そのひとつだろう。掲示板でもブログのコメント欄でも、投稿者は管理者ひとりを相手に書いているような印象が強い。そこが公の場であるにも関わらず、ときに私信とも思える文章を平気で書いている。それが悪いとは思わないものの、なんとなく妙な構図だよなと僕は感じてしまうんだ。
 
 掲示板のシステムを利用した「フォーラム」という場がある。最近はあまり耳にしなくなったような気もするけれど、読んで字の如く、複数の人たちが寄り集まって意見を述べ合う場がフォーラムだ。投稿者はそこに参加している複数の人たちを相手に文章を書き、読み手もそれを前提に読んで自分の意見を投稿する。僕はべつにフォーラムで育ったわけではないけれど、ネットという開かれた場にある掲示板というものは、そういう性質のものであると認識してやってきた。
 
 だから、ブログの記事にコメントを寄せる際も、僕の脳裏には常に複数の人影が浮かんでいる。誰が読んでも構わないような内容、管理者だけでなくその他の人たちにも伝えたいメッセージや話題を込めて書くことを、いつも心がけている。それが、ネットでのコミュニケーションだと思ってもいる。
 
 けれど、それはフォーラムや掲示板を中心に育ってきた者の言い分であって、チャット、とりわけツーショットが中心となるライブチャットにあっては、僕の理屈が見当たらないのも無理ないのかもしれない。しかし、そこに問題の種が根を深くはっているのも……事実のような気がする。
 
 
 チャットというのはリアルタイムに話が進む。僕は、ライブチャットをやる遥か以前からチャットの経験があって、それほどマメにやっていたほうでもないけど、ときには十数人でチャットしたこともあった。ひとつのテーブルを囲んで肉声で会話するのなら、複数相手でも話は成立する。けれどチャットの場合、それを成立させるのはかなり困難だと僕は感じている。大勢でのチャットを眺めていると、全員がひとつの話題で盛り上がるというよりは、幾つかの小さなグループが交錯しながらチャットが進んでいくという状況が多いような気がするからだ。
 
 別な視点でそれを言い換えると、掲示板では同時に複数を相手にできる(書ける)けれど、チャットでは同時に複数相手に会話する(書く)ことが極めて困難もしくは不可能に近いということになるだろう。もちろん、パーティーチャットを得意とするチャトレちゃんは、「わたしは複数相手にできるわよ」と仰るだろうけど、それはきみがチャトレだからであって、その場にいる客のほうはそうではないだろう……という話だね。
 
 これは、スタンスというか、パソコンを使って人とコミュニケートしようとする際の、根本的な意識の話になってくると思う。平たく言えば、ひとりを相手にしてるのか、大勢を相手にしてるのかという違いだ。そして更には、そこに「チャットレディ」という「立場」も加味されるわけだから、話は余計こんがらがってくる……。
 
 
 冒頭に戻るけど、片っ端から誰かれ構わずチャットしてるアウトローならいざ知らず、大抵のチャット客というのは、お目当てのチャトレと会話することを目的としてるだろう。彼の胸のうちに恋心があるか否かは状況にもよるだろうけど、所詮男と女は求め合うという原則に立ち返ると、形こそ違え、そこにはほのかな想いがあるのだろうと僕は想像している。
 
 いつも優しく微笑みかけてくれる彼女に対して、自分に格別な好意を抱いてくれていると思い込むのも無理もないし、それが高じて、あたかも街で知り合った自分好みの女性と恋人同士になったような気分になっても、やはり不思議はないのだろう。恋人なのにどうして逢えないのとか、なぜ自分だけを愛してくれないのなどと口走る手合いの多くは、いわゆるその口だとも思う。けれど、そこには大きな大きな落とし穴があるんだ。
 
 
 「今年はみんなの絵美ちゃんで行きまぁ〜す」という科白を、かなり昔に某テレビ番組で耳にしたことがある。彼女はAV女優。そりゃ女優なら誰かひとりのものでなく、みんなのものだろと、そのときは思ったわけだけど、考えてみたら、チャトレだって同じだろと僕は思い至った。
 
 チャトレがチャトレたり得るのは、そこに数多のファンがいるからに他ならない。もしも彼女にたった一人の客しかつかなかったら、彼女はいずれチャトレを辞めるだろう。そう考えると、大勢の男たちがそこにいてはじめて、彼女はチャトレとして輝いていられるのだということにもなってくる。そう、チャトレはみんなのものなんだ。
 
 それを大前提として念頭におかないと、トラブルはそこかしこで勃発してしまうだろうし、独りよがりや恋の空回りという現象も多発するのも道理だなと、僕にはそう思えてくるわけ。
 
 恋をするのは悪いことじゃない。縁があれば、できるだけ人に恋して恋されて、人間って素敵だなって思いながら生きていくほうが、僕は実りある人生になるような気すらしている。けれど、思い違いはやはりいただけないではないか。ライブチャットという世界に腰を据えるのであれば、そこで上手に生きる術を身につけるべきだろうし、せめて、「チャトレはみんなのアイドルなんだ」という大前提くらいはわきまえるべきだと僕は思う。
 
 色気のないお話だったかもしれないけれど、それをわきまえることができると、意外とその先には、チャトレと客という構図を超越した人間関係が待ち構えているのかも……しれませんよ。


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ヒロイ