ヲトナの普段着

2005年05月16日(月) 心に残る珠玉の言葉

 ライブチャットにまつわる話ではないんだけど、チャットというものを考えるときに、できれば頭の片隅にでも置いて欲しいなと思う言葉がある。それはまだ、僕がネットをはじめて二年くらいの頃で、年齢的にも精神的にも突っ走っていた頃の出来事だった……。
 
 
 当時僕は、ある女性とネットを通じて親しくしていた。というか、インターネットという世界に僕が入り込んで、一番最初に言葉を交わした女性が彼女だった。いわゆるホームページを介したお付き合いというやつで、お互いのサイトにある掲示板を軸に友人を増やしていったのもその頃だった。
 
 遠隔地に住んでいたので実際に逢えるとは思っていなかったんだけど、あるとき彼女が所要で上京し、ふいに、本当にふいに僕は彼女と直接言葉を交わした。それは俗に言うオフ会というやつで、僕らのほかにも数名の仲間たちがいたんだけど、主催者の策略で彼女が参加することは僕には秘密にされていて、おかげで僕の記憶のなかにあっては、いまでも物語のような出逢いとして刻まれている。
 
 そのときから、僕と彼女とはそれまでとは異なるスタンスで親しくするようになっていった。チャットのCGIを自分たち専用に設置し、夜に昼にそこでお喋りに興じては情を深めていったと記憶している。もちろんライブカメラなどというものはまだない。ネットの常時接続すらない頃だから、従量課金制という条件のなかで、テレホーダイを使ったりタイマーをみながらというネット風景が普通の時代だった。
 
 彼女は、僕が書くものをある意味で愛してくれていたと思っている。とかく感情ばかりが先走る恋愛模様のなかにあって、彼女はよく、文章に対する感想や意見を率直に伝えてくれた。そしてときに、僕のネットやネット仲間に対する姿勢を批判することもあった。僕も彼女とは真剣にぶつかった。なぜ伝わらないんだろうかと悩み、文字が万能でないことを悟り始めたのも、もしかするとあの頃だったのかもしれない。
 
 
 そんな彼女とチャットしていたある夜のこと、僕らはひょんなことで喧嘩をしてしまった。険悪な雰囲気のなかで、関係を修復しようと言葉を送信しても、それは空回りするだけ。言葉をやり取りすればするほど、険悪という名の炎に油を注ぐような感じだった。そのとき、彼女がそっと呟いた……
 
「目と目をみて、声で言葉を交わせれば、こんなことにはならないのにね……」
 
 そのひとことに、僕ははっとした。僕らは「会話」というものを、生身の人間が面と向かって交わすものだと認識している。そこにはその人の声のトーンがあったり、目の動きや顔全体の表情があったり、ときに手や体全体による動きも加味された「雰囲気」も伴ったものを、相手からの会話として受け止めているに違いない。けれど文字によるチャットでは、そこには無機質な文字だけしかありえない。
 
 文字は万能ではないんだと思った。そして、その不充分さを補う「配慮」を持たねば、文字で人とコミュニケートすることはとても危険なのだとも悟った。僕は書き物を趣味としている。その頃もいまも、僕にとって主たる表現手段は、この文字たちだ。僕はどこか、そんな文字たちを「操る」ことばかりを考えていたのではなかろうか。自分の「想い」を伝えるために、彼らをただ綺麗に並べ形作ることばかりを考えていたのではなかろうか。
 
 涙が出そうになった。自分の思い上がりに打ちのめされた。常より「ネットの向こう側には生身の人間がいる」などとほざいておきながら、「自分の文字を相手がどう読むか」という配慮すらおざなりにしてしまっていた自分に、僕は情けない想いがこみあげてくるのを抑え切れなかった。
 
 
 ライブチャットでは、客からは常にチャトレの姿が見えている。客にとってチャトレの発する声なり文字は、カメラに映る様子、つまり雰囲気とともに味わうことができる。けれど、双方向カメラでない限りは、彼女たちにとっての僕らの情報は文字でしかない。僕らが怒っていようが笑っていようが、彼女たちには文字でしか伝わらない。
 
 僕らはそれを理解しなければいけないのだと思う。普段はなんでもないような会話の内容であっても、それが文字チャットの世界では喧嘩の引き金となりかねないことを、充分に承知した上で文字を打たなければいけないのだと思う。そして、充分に伝わりきるものではないという謙虚な心と、相手への配慮を忘れてはいけないのだろう。
 
 
 前出の彼女とはその後、僕が当時動かしていたサイトが活動休止したのを機に、他の多くのネット仲間たちとともに縁が切れてしまった。いや、正確に書くと、メールは繋がっているのだから、その後も折に触れてメールはあったような気がする。しかし、サイトを休止してしまってからは、それから僕が「ヲトナごっこ」を開設したことすら、あの頃の仲間たちは知らない。
 
 ヲトナごっこ二年目の頃だろうか。当初のサイト休止からは三年か四年が経過していたと思うのだが、ヲトナごっこのパンドラの箱という私書箱に、一通の便りが舞い込んできた。「ネットで、あるキーワードで検索していたら、偶然このサイトをみつけました」という便りは、驚いたことにその彼女からのものだった。彼女も驚いただろうと思う。本当にあの頃の仲間たちには、一部の例外を除いてヲトナごっこのことは教えてなかったのだから。
 
 そんな彼女は、いま、この花道コラムも読んでくれているようだ。


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ヒロイ