| 2004年04月12日(月) |
同性間の恋愛〜恋愛の本質3 /了:同性愛者同士の結婚問題他 |
同性間の恋愛を、僕は否定しません。むしろこれまで書いてきたように、その状況によっては、異性間の恋愛より成立しやすいと思えるほどです。されどそこには、自由という名の盾をかざした行動を擁護する意図は、僕の場合は皆無です。 昨今、アメリカで同性愛者同士の結婚問題が取り沙汰されていますが、僕は基本的に、同性愛者の結婚には反対の立場です。確かに男と女で対を成すという考え方は、遠くキリスト教やその他の宗教の教えに則った部分が色濃く、そこから逸脱してしまえば恋愛は自由であろうという論理は理解できます。ですから、同性愛者の恋愛には、否定的な立場をとるつもりはありません。 けれど人間には、どこかで「一線をひく」という認識が重要であると、僕には思えるんです。それは宗教や社会的モラル云々の次元ではなく、人間が人間であるために最低限必要とする「自身への戒め」でもあるでしょう。 人を人として愛する構図には、同性同士だけでなく、近親間における愛情もときにあろうかと思います。仮にいま、同性愛者同士の結婚を許可してしまえば、いずれは近親者同士の結婚を許容することへも話が発展しないとも限りません。それがいわゆる「一線」です。 近親者同士でも、僕は愛し合っていけないとは思いません。人間ですので、生物学的や医学的な見地からどうこうではなく、人と人として近親者同士が相対することもあるだろうと思えるからです。その辺は、同性愛者の恋愛に関する思いと同じです。けれど、結婚という契りをもって対を成すことは、僕は避けるべきだと考えます。何がいけないという論理ではなく、それが形の上での「一線」になってしまうということです。 それこそ三段論法だと仰るかもしれませんが、恋愛感情というものを軸に考えたとき、そこには性の違いも近親であるか否かも存在しないはずです。となれば、近親者同士で愛し合っている者たちが、同性愛者の結婚を盾に自分たちの結婚話を持ち出してきたところで、何の不思議もないでしょう。 現代社会にはルールというものがあります。いわゆる法律です。法が万能であるとは僕は考えませんが、社会に組みして生きてゆく人間であるならば、それがかなり大きな指針となることは確かだと思います。恋愛が常に法を逸脱して存在してきたのは、歴史を振り返れば明らかでもあるだけに、法と恋愛との確執は、今後も長くつづいてゆくことでしょう。 ただ僕はだからこそ、そこで法が恋愛の奔放を抑止している効果と本音を、しっかりと認知しなければならないのだとも思います。同じ地球という星に生まれながらも、人間が他の動物とは異なる知と文化を手にしている理由を、僕はそこで考えなければいけないと思うんです。 同性同士が愛し合っていけないという法律は、この国にもアメリカにもありません。人間と人間が慈しみ労わりあう姿は、誰が邪魔するものでもないんです。されど人間を他の動物と同じものとしないために、その与えられた英知に報いるために、自らに戒めを課し一線を引くことは、とても重要なことではないでしょうか。そして言い換えれば、そんな「形」にこだわる姿に「ほんとうの恋愛」などは存在しないのだとすら僕には思えてきます。 結婚を認めるようデモ行進している同性愛者たちをみると、僕にはそれがどこか、「自分たちを認めてくれ」といっているようにみえます。その通りなのだと思いますが、果たして周囲に認められることが、恋愛という状況においてそれほど重要なことなのでしょうか。確かに偏見はいけないことだと思います。同性で愛し合っているからといって、彼らを異端の目でみることは許されることではないでしょう。だからといって、そんな異端の目を排除することに、恋愛という枠内において何の意味があるのでしょうか。 恋愛とは、「自分を高め、相手を高めてゆくひとつの方法」ではなかろうかと、僕はそう考えています。それはあくまで、相対する相手と自分との間の問題であって、周囲に認められたから昇華できるという低次元のものではないはずです。それをさも「人権運動」であるかのように語る人たちもいるようですが、僕には到底そのような論理は理解できません。「何でも認める」ことが自由であるとは思えないからです。そのような行動に労力を費やすよりも、もっと相手を慈しみ愛することに執心したほうが幸せではなかろうかと思ってしまいます。 恋愛の本質というのは、言葉で語りつくせるものではないように感じています。それは人間が何千年という歴史を積み重ねてきながらも、いまだに真理に到達できずにいることからも明らかでしょう。ですから僕が語るところも、それは僕の想いであって真理ではなく、異論も邪推もあまた生まれる宿命を排除することは叶わないと考えています。 されど願わくば、恋愛を上っ面だけで解釈することだけは避けて欲しい。そして同時に、己の身勝手のみで恋愛を盾にすることも、僕は許されざる行為であることを肝に銘じて欲しいと願っています。この種のテーマはつかみ所がなく、まとめるのも至難であろうと思いつつ綴りましたが、やはり焦点が定まらぬまま筆をおくことになりそうです。またいつの日か、考えが少しでもまとまるようなら、手にしてみたいテーマには違いありませんが……。
【了】
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