山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年09月16日(火) 【写真付】星野仙一を嫌いになった理由

祝・阪神タイガース。(巨人ファンとしては不本意だが)

放射線治療第8回目。

夕焼けに染まる白銀台

おとといの夕方、夕焼けの赤みがかった光線に、高台の住宅の壁が染められ、なかなか美しい光景になっていた。まだ明るい時間帯だったので写真に撮ることができた。写真だと思ったほど美しさを伝えることができない。13日の夕方も光景とも一味違う。(13日は夕暮れだったの私のデジカメではで写真にならなかった。)

今日のスポーツ新聞やニュースは阪神タイガース優勝の記事ばかりだろう。そして星野監督を褒め称える記事もだ。星野個人で「応援感謝」の広告を出したり、数日前に母親を亡くしていたにもかかわらず優勝がかかっている大事な試合があるため葬儀には出席せず、試合に専念したという記事などの美談。本当に素晴らしい監督である。

星野仙一が引退してNHKの解説者になった頃は本当に好きだった。毎日のニュースよりも、スポーツコーナーでプロ野球の解説の時間が来るのが待ち遠しかった。軽快な語り口と明快な解説が好きだった。テレビに映る笑顔やファッションも素敵だった。女性に人気抜群の理由も分かる気がした。

それがあるきっかけで星野仙一を嫌いになった。その理由が二つある。

その後星野は中日ドラゴンズの監督に就任した。すぐに強面の熱血監督として有名になった。とにかく熱い。うまくいかないと怒鳴る、ベンチを蹴り上げる。かっこいい。が、彼がやろうとしているのは「けんか野球」だ。野球はスポーツだ、けんかではない。故意のデッドボールを容認するかような発言もあった。(彼はピッチャー出身だからそういう傾向の発言になったのだろう。実際デッドボールの応酬があったと記憶している。)

そして決定的だったのは、新庄剛選手が大リーグへいったときの星野の発言である。新庄が大リーグ移籍のニュースに、
「星野さんも今現役だったら大リーグへ行っていましたか?」
とインタビューを受けた星野が、
「もちろんですよ。こんなのが行けるんですから。」
と応えたのだ。ここで「こんなの」とは新庄選手のことである。たしかに星野の現役当時は実力があったのだろう。しかし、こんな不遜な態度、のぼせ上がった発言に私は激怒しがっかりした。

それ以来星野仙一のファンをやめたのである。そういう目で見ると、今まで頼もしく見えた星野が、今度はふてぶてしく見え出すから不思議なものだ。そうして私は星野仙一が嫌いになった。

さて、夕暮れの八戸港もいい。漁り火の見える漁港風景ではない。港内の泊地に停泊する貨物船の少ない明かりと、それが海面に反射して見える情景が、八戸港全体のうちほんの少しだが趣きがあるのだ。この2・3日でいろんな八戸港の横顔を見たようだ。


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