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2009年11月14日(土)
プロの通訳は、政治家の「どうも、どうも」を、何と訳すのか?

『半島へ、ふたたび』(蓮池薫著・新潮社)より。

【ところで、ちょっとわき道に逸れるが、通訳の現場におけるアドリブ(話者の発言に通訳者本人が説明を付け加えること)は、許されている。外国人同士の話し合いでは、国や民族間の習慣、風習、伝統の違いから誤解が生じることがあり、話者の言葉をそのまま置き換えるだけでは、とうてい円滑な意思疎通がなされないからだ。
 ロシア語通訳の第一人者だった故・米原万里氏の著書『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』に興味深いエピソードが書かれている。あるとき、リビアの最高指導者カダフィ大佐がモスクワを訪れ、記者会見を開くことになった。またとない機会ということで会見場には内外の報道陣が殺到したという。親衛隊の厳重な護衛の中、壇上に現れた大佐は、傍らにいる通訳官になにやら一、二分ぼそぼそと囁いた。すると、通訳官はなんと二十分あまりにわたってそれを”通訳”したそうだ。会場から質問が出ると、また大佐はぼそぼそと一分ほど話し、再び通訳官がとうとうとまくし立てる。つまり、大佐が話すときは通訳官がわかっていることを極力省くので手短になる。通訳官は、外国人記者たちが理解できるよう、大佐の言ったことに必要な文脈を補足するので、話が長くなるというわけだ。
 また、ある日本の政治家は、ロシアから来日した代表団の歓迎パーティに出席し、客人たちとあいさつを交わしながら、「どうも、どうも」としか言わなかったそうだ。実にあいまいで便利な言葉だ。しかし、政治家に付き添っていた通訳者は、代表団の各メンバーとその政治家の関係を事前に研究していたのだろう。相手によって「またお会いできて何よりです」「お久しぶりですね」「はじめまして」などとニュアンスを見事に訳し分けていた。】

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 通訳なんて、その国の言葉がわかれば誰にだってできるんじゃない?
 不届きにも、つい最近まで僕はそんなふうに考えていたのです。
 でも、ここで紹介されている米原万里さんをはじめとする「プロの通訳」たちのエッセイを読んで、この仕事の難しさ、奥深さを知ることができました。
 柴田元幸さんと村上春樹さんの「翻訳」についての対談本では、現在の潮流としては、「とにかく原文に忠実に訳す」ことが重視されているようなのですが、人と人のコミュニケーケーションを媒介する「通訳」の場合は、また違った苦労があるんですね。

 蓮池さんが紹介されている「プロの通訳」たちのエピソードを読むと、通訳という仕事は、「言葉」だけでなく、自分が通訳する人や分野についての予備知識がないと務まらないのです。それにしても、カダフィ大佐のときには、外国人記者たちは、「コイツが勝手に作って喋ってるんじゃないか?」と疑ったのではないかと思いますし、日本の政治家の場合は、本人は「どうも、どうも」しか言っていないのだから、この通訳者は「意訳のしすぎ」なのではないかという気もします。でも、たしかに「どうも、どうも」のニュアンスを訳すのは難しいだろうなあ。
 この政治家も、もうちょっと考えて挨拶しろよ、と言いたくもなりますし、通訳も内心そう思っていたかもしれません。

 そういえば、先日スポーツ新聞で、ヤンキースの松井秀喜選手は、日常会話レベルの英語は十分喋れるのに、公式の記者会見では通訳をつけている、という話を読みました。松井選手は、「ずっとお世話になって通訳を失業させるのは忍びないからね」と冗談交じりにコメントしていたそうですが、おそらく、「中途半端に相手の言葉で喋ってしまうことの危険性」を注目される存在である松井選手は自覚しているのでしょう。
 どんなに英語がうまくなっても、やはり、日本語で喋るようには微妙なニュアンスは伝えられないでしょうし、「意味が通じる言葉」と「その場に適切な表現」というのは、異なる場合も少なくありません。
 もし誤解を招くようなことがあれば、「通訳が悪かっただけで、自分はそんなつもりで言ったわけじゃない」という「逃げ道」もありますし。

 ちなみに、米原万里さんは、著書『ガセネッタ&シモネッタ』のなかで、こんなふうに書かれています。

【わたしなどのところにも「どうしたら同時通訳になれるか」という問い合わせがしばしばある。
 そんなとき、次のように答えるようにしている。
 この職業には向き不向きがある。時間のストレスに耐えられる図太い神経系と頑丈な心臓。一般に平時の心拍数は60〜70、重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる瞬間、それが140まで上がるといわれているが、同時通訳者は、作業中の10分なら10分、20分なら20分ずーっと心拍数は160を記録し続けるのだから。
 それから、完璧主義者には向かない。時間的制約ゆえに最高最良の訳の代わりに次善の訳で我慢する妥協の精神が必要。「尿」という単語が出てこなかったら、黙り込むよりも「小便」「オシッコ」あるいは「液体排泄物」と言ってしまう機転といささかの男気が求められる。】

 そして、米原さんが紹介している、同時通訳の「日当」について。

【同時通訳者の日当は1日12万円なんです、7時間以内で。半日すなわち3時間以内で8万円です。国際通訳者連盟(AICC)というギルドがありまして、通訳条件の基準をつくっている。通訳をする相手が誰であろうと、つまり身分や貧富の差などまったく関係がないんですね。あらゆる顧客を平等に扱う。ちょっと排他的な組織で、自分たちの権益を守らないといけないから新参者を排除するんです。それが気に入らなくて、わたしは入らないんですけど。】
 
「日当12万円」というのは、通訳のなかでも最も難しいとされる「同時通訳者」ですから、一般的な通訳者の場合は、こんなにはもらえないのでしょうが、通訳っていうのは、本当に大変な仕事なのです。「言葉さえわかれば、誰にでもできる」なんて、とんでもない。