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2009年07月09日(木)
村上春樹さんに「そんな残酷なシーンを書くべきじゃない」という抗議のメールがたくさん来た小説

『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(村上春樹・柴田元幸共著:文春新書)より。

(J.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳した村上春樹さんと翻訳家の柴田元幸さんとの同作品についての対談の一部です)

【村上春樹:僕は『海辺のカフカ」という小説の中で、猫を残酷に殺す男の話を書いたんです。そうしたら抗議のメールがけっこう来ました。そんな残酷なシーンを書くべきじゃないって。でもね、僕はこれまで小説の中で人を殺すシーンをいくつか書いてきたんです。しかしそれに対する抗議はそんなには来なかった。少なくとも猫を殺したときほどは来なかった。それは考えてみたら変なことですよね。要するに猫というのは我々人間より弱い者であって、イノセントであって、だからそういうものをいじめているやつがいると、感情的にアプセット(動揺)するし、かわいそうだと。それに比べると、人間というのは自分に脅威を与えかねないものであって、そういうものが殺されることに関しては、とくに同情はしないということなのかな。
 このあいだインドネシアのタンカーが火事になって、乗組員はみんな船を捨てて逃げたんだけど、雑種犬が一匹あとに残されたんです。それを救出しようと、アメリカの動物愛護団体が寄付を募ったら何十万ドル集まって、それでボートをチャーターして助けに行きました。あれ、犬だからそれだけ集まったんですよね。

編集部:タマちゃんにはほいほい住民票をあげるんだけどという感じで。

村上:うん、だから、そういう気持ちって、まあ、わからないでもないんだけど、よく考えると、価値基準としてはやはりいささか不安定じゃないかと。】

〜〜〜〜〜〜〜

 現実世界では、「そりゃ動物愛護も大事だろうけど、そのお金を人間に使ったら、何人助かるのかな……」と考えてしまうような「感動のストーリー」が頻繁に繰り広げられています。
 同じ「野良犬」でも、少し前に話題になった「崖っぶち犬」みたいな「付加価値」があれば、喜んで引き取ってくれる人が出てきますしね。
(もっとも、徳島の「崖っぷち犬」は、最初に引き取った人が体調不良で飼えなくなり、結局は動物愛護センターで飼われることになったそうなのですが)。

 この村上春樹さんの話を読んでいると、「現実」だけではなく、フィクションの世界に対しても、「人間はどんなに悲惨な殺され方をしても許すけれど、かわいい動物たちを虐待するような描写は受け入れられない、という人がけっこういるのだということがわかります。
 実際に起こった事件や事故(あるいは、明らかにそれをモデルにしている作品)に対して「抗議」するのはわかるけれども、フィクションに抗議するというのは、僕にはちょっと理解不能なのですが……

 村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』という作品に、「皮剥ぎボリス」という拷問のエキスパートのエピソードが出てくるのですが、これはもう、「あまりに残酷で気持ち悪くて、読むのがつらい」と僕は感じました。まあ、結局は最後までちゃんと読んだんですけどね。

 動物のなかでも、「猫」については、とくにそういう「拒絶反応」が出やすいような印象を僕は持っています。
 猫好きって、ネットでも本当にたくさんいるんだよなあ。
 僕は猫にそんなに思い入れはないのですが、小説のなかでも、人間がどんどん残酷に殺されているにもかかわらず、猫に対する「虐待」のほうが、はるかに抗議が多いというのは、あらためて考えてみると、ものすごく不思議な話です。ちょっと待ってくれ、みんな人間よりも猫のほうが大事なの?

 正直なところ、僕自身は、そういう「不安定な価値基準」というのが、「人間が他の動物とは違うところなのかな」という気もしますし、「殺されるのが人間であっても、あまりに残酷なシーンは苦手」なのですけどね。

 でもほんと、「猫」って、ちょっと他の動物とは違った入れ込み方をされている動物なのではないかと思われます。
 僕はネットをやってはじめて、世の中にはこんなに猫好きが多いのか、ということを知ったんだよなあ。