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2009年06月14日(日)
『とどろけ!一番』の「長期連載を実現するための驚愕の裏技」

『定本コロコロ爆伝!! 1977-2009』(渋谷直角編・飛鳥新社)より。

(関係者へのインタビューや当時の資料から、『コロコロコミック』(小学館)の創刊32年の歴史をまとめた本から。第3代編集長の平山隆さんとマンガ家・すがやみつる(『ゲームセンターあらし』)、のむらしんぼ(『とどろけ!一番』『つるぴかはげ丸』)両氏による鼎談「『コロコロ』らしさは『あらし』『とどろけ!一番』から生まれた」の一部です)

【平山隆:まず最初に僕が言いたいのは、「ゲームセンターあらし」っていうのは、児童マンガの歴史の中で非常にエポックメイキングな作品だったと思うんです。なぜかというと、それまでのマンガは実際に存在するアクションを描いてるわけ。野球マンガならボールを投げて打つ。ボクシングマンガなら殴って殴られる。でも「ゲームセンターあらし」は、子供たちがゲームをやっているところを描く。実際はコントローラーに向かって手を動かしているだけなんだけど、彼らの頭の中にはものすごい大宇宙が広がっていて、レーザー光線が飛びかっているわけですよね。『スターウォーズ』のような世界が彼らの頭の中にはある。すがや先生が新たに切り開いた手法というのは、子供たちの頭の中にある、想像の世界を具現化して、マンガとして成り立たせた――そこを開拓したマンガなんです。

すがやみつる:そ、そうだったのか……!(笑)

平山:それ以前にも、似た感情表現はあったけど、作品の構造がそうなっているものはなかったと思うのね。ここが児童マンガとして、表現の地平を一気に広げた新しさがあった。子供たちは批評家じゃないから、それを分析したりはしてないけど、「ゲームセンターあらし」という作品にみんながワッと飛びついたのは、そういう新しさがあったからだと思う。
「ゲームセンターあらし」が成功して以来、僕たち編集者が何を思ったかというとね、「もう、マンガにできないものはない」(笑)。そこで出てきたのが、のむらさんの「とどろけ!一番」というわけ。

のむらしんぼ:おおー。いや、もう、その通りですね。

平山:テストの答案を書くという作業。それがアクションマンガになる。「ゲームセンターあらし」が表現を広げてくれたおかげで、答案を書くこともひとつのイメージの画としてアクションにできた。そこからは、釣りでもなんでもアクションマンガにできた(笑)。

のむら:「釣りバカ大将」ですね。

平山:「ドラえもん」というひとつの大きな軸足ともうひとつ、あの時代から今につながる『コロコロ』らしさっていうものが、「あらし」から生まれたのかもしれない。なんでもマンガ、なんでもアクションにできるんだ、っていう。ラジコンもミニ四駆もすごいアクションになる。その大本が「ゲームセンターあらし」なんだよね。

すがや:平山さんに言われたのが、「すがやさん、ゲームの最後はあらしを宙返りさせてください」って(笑)。僕、「えっ?ゲームって、椅子に座ってテーブルでこうやるんですよ?」って言ったの。だけど平山さんは「ゲームでトドメを刺すのは空中回転してなきゃおかしい!」。それで僕、「どうしよう……」って、すごい考えこんじゃって(笑)。

のむら:それ、すっごいわかります!僕の時もおんなじで、「とどろけ!一番」の最初の読み切りの時、平山さんが「逆立ちしてテストの答案を書かせたい」って(笑)。

すがや:それで、僕も「1回きりだからいいか」って、割り切ってあらしを逆立ちさせたんです。人気もその時そんなに良くなくて……。ゲームも「ブロック崩し」だったし。

平山:いや、ウケたよ。あの時も。ただスケジュールが決まってたから、ウケたけど、次の号からすぐ、ってわけにはいかなかったんじゃないのかな。

すがや:次の年の『ウルトラマン増刊号』で、「スペースインベーダー」の話が載って、「ウルトラマン」より票を取って1位になっちゃって。それで急遽本誌連載になったんですよ。

平山:時代の風が吹いたね(笑)。当時からね、アンケートをしょっちゅう取っていて。「どういうヒーローがいいですか?」って聞くと必ず「おもしろくて、勇気があって、いざとなったら強い」――この3要素なんだよね。「おもしろくて」ってところに入ってるのは、ハンサムじゃなくてファニーフェイス。ズッコケたりとかね。だけど、臆病者じゃなく蛮勇を奮う。いざとなったら頼りになって、強い。それはまさに「あらし」だったり「ドラえもん」だったりするんですよ。

のむら:なるほどなぁ。

平山:すがやさんがそれまで書いてたのは、主人公がギャグを飛ばしたりズッコケたりするヤツじゃなかった。昔からある良い男。その1点が引っかかったので、そこを変えてくれって言ったの。

すがや:「もっとブサイクなキャラクターにしろ」って言われて(笑)。それで「釘師サブやん」と「包丁人味平」を参考に作ったのがあらしなんですよ。

平山:ライバルはハンサムなんだよ、のむらさんのマンガでも。ハンサムでスポーツ万能で頭がいいっていうのは、主人公じゃなくライバルのイメージなんだよね。それは、今の『コロコロ』のマンガでも変わらない基本線になってる。

(中略)

平山:「とどろけ!一番」は3回で終わる予定だったんですよ。1月に始まって、3月に終わる。なんで1月号から連載が始まるかっていうと、受験が始まるから。受験に合わせて、「受験のマンガを」っていう発想だった。最初は男の子と女の子の話で、ラジオの深夜放送を聞きながら、お互いに励ましあって受験勉強していて、インスタントラーメンのおいしい作り方も描いてある、みたいな内容で(笑)。

のむら:最初は「月とスッポン」をやろうって話だったんですよね。「中学受験してる子だっているんだよ、さみしくてガールフレンドほしいでしょ」「そらほしいですね」って。それで絵コンテを切ったら、「……しんぼちゃん、なんか違うんだよね」って。

平山:あのね……(のむらしんぼと)ラブコメ、合わなかったの(笑)。

のむら:そう(笑)。だから「しんぼちゃん、『リングにかけろ』にしよう」って(笑)。「あらし」をやろうって言いづらかったと思うんです。僕のプライドを考えて。それで、「えっ、受験じゃなくボクシングですか?」って聞いたら、「違うよ!『リンかけ』で受験をやるんだよ!」って(笑)。「えーっ!?」。頭の中、真っ白(笑)!

平山:180度変えてね。そしたら人気出たんですよ。で、苦しんだのはね、3回目。中学受験を目指してるから、試験受けなきゃいけない(笑)。受験マンガで合格しちゃったら、マンガは終わっちゃう。人気があるのに。「どうしよう?」って苦労したね。

のむら:僕は苦労しなかったんですけどね。平山さんが考えてくれたから(笑)。

平山:それでどうしたかというと、(主人公の)一番がね、100点を取っても合格できない。受からない。張り出してある合格者名に名前がないの。それで、「なんでだ!?」ってなった時、一番のお母さんが言うんだよ。「一番、ごめん。じつは、生まれた年を間違えてた……。まだおまえは、小学5年生なんだ」って(笑)。

一同:(爆笑)

平山:本当は6年生じゃなかった、って。だからまた1年間、受験勉強しなきゃならないってことになったの。ライバルは合格するわけ。でもそいつも、「一番がもう一度やるんなら、俺もやる」って留年するの(笑)。それで無事、長期連載になったんだよね。

のむら:平山さんにいろいろ言われながら、ハッタリをかましながら、読者を引きとめていくコツをね、教えられてましたね。「答案二枚返し」っていうのもあって……。

平山:「答案二枚返し」はね、日曜日に受験塾に行って授業参観したんだよ。日曜日は模擬試験のテストの日なのね。僕もいちばん後ろの席に座らせてもらって、テストを受けたの。そしたら、国語の問題が用紙の表と裏にびっしりで、すごい量なんだ。とにかく早くやんなきゃ、時間がなくなっちゃう。「こんなに多い問題をこの時間内でやらなきゃいけないのか!?」って体験がベースになって、「両手が使えたら、右の目で問題を読んで、左の目で答案を見て、というように問題を見ながら同時に解答が書けるな」って(笑)。それが「秘技・答案二枚返し」。その「秘技」っていう発想はないかというと、「ゲームセンターあらし」からだったんだよね。

のむら:いきなり「答案二枚返し」って言われて、「なんですかそれ?」って。「右目で問題見て左目で答案見て、逆立ちで描くんだよ」って。

平山:「そうすると、何分何十秒短縮できる!」(笑)。

のむら:それで自分でも、「あっ、『リンかけ』というより、『あらし』を受験でやればいいのか」ってわかった(笑)。

平山:……この話で僕が言いたいのは、「ちゃんと取材もしてる」ってこと(笑)。

のむら:そしたら自分でもおもしろくなってきて、「平山さん、『四菱ハイユニ』ってどうですかね」「なにそれ?」「書いても書いてもすり減らない鉛筆なんです」「いいね、それいこう!」。2人で新宿の「談話室滝沢」で盛り上がって。その勢いのままやってたんですよね。

――じゃあ、『コロコロ』のマンガは編集主導なところがあるんですね。

平山:『コロコロ』はほとんど、企画ありき。編集会議で、「今度どういうマンガやろうか」って話しあって、たとえば「ゲームマンガをやろう」ってなったあ、「じゃあ、すがや先生に頼もう」ってなる。すがや先生に先に会って、「先生、何をやりましょうか?」って組み立て方ではないんですね。】

参考リンク(1):『ゲームセンターあらし』公式サイト

参考リンク(2):シリーズ連載: 伝説の受験マンガ とどろけ!一番 part1(BLACK徒然草)

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「ゲームセンターあらし」が『コロコロコミック』に読み切りではじめて載ったのが1978年、連載されるようになったのは翌年の秋から。
「とどろけ!一番」は、1980年2月号から連載がはじまり、結局、1983年5月号まで続きました。

 『コロコロコミック』が創刊された1977年というのは、ちょうど僕が小学校に入学したくらいで、創刊号から欠かさずに読んでいた記憶があるんですよね。当時は、「とにかく『ドラえもん』がたくさん載っているマンガ雑誌」という印象でした。
 『ゲームセンターあらし』も大好きで、「炎のコマ」をゲームセンターで試してみてすぐにやられてしまった記憶があります。さすがに、ムーンサルトはやらなかったというか、できませんでしたけど。

 あらためて言われてみると、「あらし」というのは、たしかに、「実際に存在するアクションを描くのではなく、想像の世界を具現化して、マンガとして成り立たせた、エポックメイキングな作品」ですよね。最初に読んだときは、「なんだこれは?」という感じで、マンガのなかで繰り広げられている世界と、ゲームセンターでの実際のゲーム画面のギャップにあきれたりもしたのですが、不思議なもので、その世界に慣れてくると、ゲーム画面のなかに「あらし」の世界を想像するようになってきました。
 その後のファミコンマンガでも、実際のゲームに沿った展開で、ウラ技などを紹介するものが多く、「あらし」ほどぶっ飛んだ作品はありません。
 まあ、だからこそ当時は、「こんなのできるわけないだろ、バカバカしい!」とか子供心に思ってもいたのです。

 のむらしんぼさんの『とどろけ!一番』も、僕の記憶に残っているマンガです。「受験」や「テスト」を題材にしたマンガが、小学生向けのマンガ雑誌に載っていたというのは、すごくインパクトがあって。
「答案二枚返し」も、当時はみんな学校のテストで試していたのですが、もちろんあんなことが現実にできるわけもなく、あとに残されたのは、ミミズがのた打ち回ったような鉛筆の線で汚れた、二枚の答案用紙だけでした。
 『とどろけ!一番』は、「答えが正しいこと」は当たり前で、「いかに速く答案用紙を書き上げるか」のスピード勝負になっていて、内心、「その速さに意味があるのか?」とか思ってもいたんですけどね。「まず正解すること」に苦しんでいた僕としては。

 ここで紹介されている「連載延長のための秘策」、僕もリアルタイムで読んで、かなり喜び呆れた記憶があります。「えーっ、何だよそれ!」って。そして、それ以上に、「一番があと一年受験勉強するのなら、自分たちも留年する」という「仲間」たちの決断には、開いた口がふさがりませんでした。
 みんな超エリートコースまっしぐらなのに、そんな小学校時代の一時の感情のために、浪人生活?って。もちろん、義務教育なので、現実にそんなことできないのは知っていたのですが、「マンガ雑誌って、連載を続けるために、ここまでやるのか!」というある種の「潔さ」を感じたのも事実です。スポーツ一般が苦手だった僕にとっては、『コロコロコミック』に「勉強のヒーロー」が活躍するマンガがある、というのは、なんとなく心強くもありましたし。

 ちなみに、『とどろけ!一番』は、3年あまり連載が続いたのですが、この「年齢詐称事件」の翌年は、不正をした生徒がいたために、受験そのものが「合格者なし」となってしまいました(一番が不正をしたわけではないので念のため。「二枚返し」とかものすごく目をつけられそうですが)。
 その後の『とどろけ!一番』はなぜか「ボクシングマンガ」になってしまい、結局、一番は名門・開布中学に合格することなく、連載は終わっています。
 なんというか、「大人の都合に踊らされた、かわいそうな天才少年の末路」みたいな話だなあ……