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2009年05月25日(月)
「ネットをやっている人間はバカになる」

『オタク論2!』(唐沢俊一・岡田斗司夫共著・創出版)より。

(「オタク」について、唐沢さんと岡田さんが雑誌『創』に連載されていた対談を単行本にまとめたものです。雑誌に掲載されたのは2008年2月・3月号で、当時岡田さんは「いいめもダイエット問題」によって批判されていました)
「いいめもダイエット問題」については、こちら(「岡田斗司夫さん、ダイエットサイト閉鎖問題で釈明」(MSN産経ニュース)を御参照ください。

【岡田斗司夫:どうしてこういうこと(「いいめもダイエット問題」についてのネット上への岡田さんへの批判)になるのか、考えてみたんです。自分がここまで叩かれなかったら、こんなに真剣に考えなかったでしょうね。その意味ではいい機会でした。わかったことはね、彼らは「反証責任は岡田にある」と思っているんですよ。つまり、「疑いがかけられた」とか「今叩かれだした」とすると、「言われた人は反論するはずだ」と。
 つまり、岡田斗司夫は叩かれた。「それじゃ岡田斗司夫のサイトを見に行こう。もし、やましいことがなかったら反論があるはずだ」「反論がないのはアイツの責任だから、叩かれても仕方がない」となる。
 これは、おもしろい思考経路だな、と思ったの。おまけに、ぼくは自分が叩かれて、自分がついこの間まで同じ思考経路をたどっているのに気がついた。ぼくも含めて、「ネットをやっている人間はバカになる」なんですよ。

唐沢俊一:確かに、一言で言うとそうなりますね。カゲキだけど(笑)。

岡田;ぼくも含めてバカ。ネットはバカの感染力を高める。こっれが本当にボクはショックで、しばらくネット断ちしたのはこれが原因なんですよ。
 ネットをやっていると、あまりに情報がたやすく手に入るから、「情報が手に入らないのは、情報を出してくれないヤツの責任だ」と思っちゃう。

唐沢:もう本能的にそう思っちゃうんですよね。「自分に不便」とか「自分の欲しい情報がない」というのは「情報を出さないヤツが悪いんだ」となる。あまりに簡単に情報が手に入ることに慣れきっちゃったせいでしょうが。

岡田:ぼくが、デビュー作からずっと書いている「自分の気持ち至上主義」というのが、ネットの側から解釈するとどうなるのか、というと、「自分がわからない、知らないのは、相手の責任だ」ということになる。例えば「わからないのは向こうの説明が下手だからだ」「情報の出し方が悪いからだ」ということになって、「テレビのバラエティー番組はこんなにわかりやすく説明してくれているじゃないか」「学者の説明はわかりにくい、だから学者は頭が悪い」という発想になる。
 これがね、ぼくにとってものすごく衝撃的な事実で、これで一冊本を書こうかと思ってる(笑)。

唐沢:とにかく彼らは、真実の追求だとか、相手の言い分がどうだとか、そういうことはどうでもよくて、とにかく「今、その情報がどのような扱われ方をしているか」にしか興味がない。そして、その扱われ方に乗ることだけを考える。

岡田:彼らは「新しいネタが欲しい」とか「新しい騒ぎが欲しい」「日頃の憂さを晴らす対象が欲しい」と言っているだけ。ぼくもこの騒ぎが起こったときに関係者からすぐ言われたのは、「一切情報を出さないのが一番いい」ということ。それは何でかっていうと、ちゃんと説明して沈静化させることより、放っておいて冷めるほうが早いから、だと。

唐沢:何か言うと、また燃料投下したことになって燃え上がっちゃう。これはまさに私が幻冬舎の法務担当者に言われたのと同じで、「言い訳したところで何もならない。法律上やるべきことをやるだけがあなたの義務で、それ以外には何にも義務はないですから」ということを再三言われましたね。

岡田:でも、ぼくがネットをやってる限りは、それを納得できない。だってぼくもブロガーの一人だから。つまり、「でもそんなこと言っても、ネットをやっている人はもう何百万人も何千万人もいる」と。「その人たちの信頼を失ったらもうダメなんじゃないか」と思ってしまう。

唐沢:その恐怖はすごくありますね。逆に書き込む方は、相手のその感覚を利用して、まるで世間全体がこっちのバックについている、というような書き方をするのが常です。匿名性というのは逆に、その匿名氏がありとあらゆるところに存在するかのような錯覚を起こさせますから。

岡田:ところがですね、ぼくがネットとの距離を置いた瞬間にわかったんですけれど、今、ブロガーと呼ばれているブログを書いている人たちと一般のネットをやっている人たちの間に、温度差がすごくある。
 これが今回考えた仮説なんですけれど、5年前まではネットは世界の先端だったわけです。つまり、ネットで起こることはいつか世界でも起こって、ネットで話されていることが何年かして世間で話されている。だから、ネット住民たちはネットが世界で最先端だと思っている。この癖が10年くらい続いている、この5年くらいは思考が完全にそうなっているんだけれど。
 だけど、それが最近そうでなくなってきた。そもそも、ネットが先進性を持っていたのは、いわゆるニフティのパソコン通信が最初だと思う。それが「ネットによると」という言葉をマスコミが使うようになってきたのは3年から5年前。それで、その先進性が危うくなってきたのは2007年の夏。「セカンドライフ」が日本では流行らなかった。つまり、ネットというのは世界の中の先進的な場所ではなく、「熱心なブロガー」がいるだけで、もしかして現実社会にあまり反映されないかもしれない。去年の夏くらいから「ネットでの検索1位」というのがあまりCMとか広告に使われなくなった。「続きはネットでね」みたいなCMも増えているんだけれど、それに対する批判も増えてきた。
 今たぶん、ブロガーみたいな形で、意見を言ったり聞いたりするためにネットをやっている人よりも、通販とかオンラインチケット購入とか、ホテルの予約とかにネットを使っている人が増えている。

唐沢:そっちの利用が多いでしょうね。私なんかも今、ネットをつなぐ動機はまず、通販利用だもの。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この対談を読みながら、僕は数ヶ月前に、20代前半の職場の女性3名と飲み会で話したときのことを思い出しました。
 「田舎だと、欲しい服や本もすぐには買えないし……」と言う彼女たちに、「でも、今はAmazonとかがあるから、そんなに不自由しないんじゃない?」と僕が答えると、「えっ、アマゾンって、ジャングルの……?」と彼女たちは腑に落ちない表情になったのです。
 その場にいた、コンピューター好きの30代男子たちは「えっ、本当に知らないの?」と驚愕してしまったのですが、やっぱりそれはお芝居や冗談ではなかったみたい。
 彼女たちの名誉のために言っておきますが、確かに地方都市在住で仕事に追われている病院のスタッフですけど、僕からみると、「ごく普通の(あるいは、ちょっと真面目な部類の)若い女性」でも、こんなものなのです。
 「ネット通販」は一般的な買い物のやりかたになってきてはいるけれども、だからといって、「そういう買い物のしかたなんて知らない、あるいは信用できないと考えている人」は、けっして少なくないようです。
 「いくらなんでもAmazonくらいは……」なんていうのは、「ネットのヘビーユーザーの視点」でしかありません。

 インターネットが一般的になりはじめた10年くらい前は、それこそ、もっと「ネットだらけの世界」になるのではないか、という予感がありました。ブログブームのときなどは、名刺代わりに「1人1ブログ」になるのではないかと思っていたのです(「mixi」あたりは、それに近いものになっているのかもしれませんが、実際は「ちゃんとmixiを活用している人」というのはそんなに多くはなさそうです。僕は日常生活において、「マイミクになりませんか?」なんて知り合いに誘われたことないし(モテないから、なのかな……)

 この岡田さんと唐沢さんの対談の内容については、お二人が「既存のメディアにおける既得権を持っている人」であることを割り引くべきだとは思うんですよ。「テレビ出演や雑誌の記事に比べたら、ネットの個人ブログの影響力なんてたいしたことない」というのは事実なのだろうけど、多くの人は、「自分のブログや2ちゃんねるに書くことくらいしかできない」のだろうから。
 でも、こうしてサイトをやっているくらいのヘビーユーザーである僕にとっても、ここでお二人が語られている「ネットをやっている人間はバカになる」という主張の内容には、頷けるところが多々あるのです。

 「お前には『説明責任』がある」「反論しないというころは、間違いを認めるということですね」「自分がわからない、知らないのは、相手の責任だ」というような「常識」を持ったヘビーネットユーザーは、けっして少なくないように思われます。
 自分で調べようともせず(そう、彼らの多くは、自分でGoogleを使って検索することさえしないんですよ。目の前にネット環境があるにもかかわらず!)、「ネットでみんなが間違っていると言っているから」という理由で、尻馬に乗って騒ぎ、批判している内容が的外れだったとしても、「煽ったヤツが悪い」と知らんぷり。そもそも、「専門的な知識」を正しく理解するには、受け手にだって最低限の予備知識は必要なはず。
 ところが、「自分で勉強するのはめんどくさい」から、「わかりやすく書いてあって、自分も理解できた気分になれるもの」「ネットで大勢の人が正しいと言っているもの」に疑いもせず飛びついてしまう。
 「祭りに参加すること」が重要で、「何の祭りか?」は二の次。

 そういう「熱心なネットユーザー」と「ツールとしてネットを利用しているだけの人」の「温度差」は、たしかにどんどん開いてきているような気がしてなりません。
 「ブログは世界を変える」のではなく、大部分のブログが、「自分たちだけの小さな世界をつくり、どんどん現実とは乖離していっている」のです。
 「現実から離れること」を一概に「悪」と決め付けるわけにはいかないのだけれども、多くの場合、彼らは「自分たちは現実に立ち向かっている」と勘違いし続けています。

 もちろん、「ネット世論」は現実に影響を与えていないわけではないけれど、それは、「少しでもヘンなことを言ったらネットで叩かれる」という、恐怖感を植え付け、自由に発言しにくい空気を蔓延させるという、ネガティブな影響力のほうが大きくなりつつあるのです。

「ネットをやっている人間はバカになる」
本当に怖いのは、「知らない人」ではなく、「知らないことを自分は知っているはずだと信じてしまっている人」なのではないかと思います。

ブログって、「世界を変えるためのツール」じゃなくて、単に「よくある趣味のひとつ」だよね。僕もそれを認めるのは悲しいけれども。

「ヘビーネットユーザー」以外の人たちは、もう、「ネットの限界」に気付いているのではないかな。