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2009年05月14日(木)
『あさりちゃん』は、生きていた!!

『オトナファミ』June 2009 No.18(エンターブレイン)の特集記事「ぴっかぴかの小学館・学年誌メモリアル」より。『あさりちゃん』の作者・室山まゆみさんへのインタビュー記事の一部です。ちなみに、「室山まゆみ」は、姉・室山眞弓さんと妹・室山眞理子さんの共同ペンネームなのだそうです。

【インタビュアー:子供の頃から二人で絵を描かれてたんですか?

眞理子:ううん。一人だよね。

眞弓:基本的には。

眞理子:漫画を描き始めたのは小学校の高学年の頃でした。今の子供たちと同じようにやっぱり最初はノートと鉛筆で描いてましたね。田舎だから、遊ぶ道具がなかったんです。運動神経鈍いから、あまりほかの子供と一緒に走り回るの好きじゃなかったし。

眞弓:近所に住んでいたのが、男の子ばかりだったんです。

眞理子:いつも一緒にいた女友達2人が、これまた運動神経が鈍いので、4人が各々ごそごそ、ごそごそ絵を描いていました。

インタビュアー:あさりちゃんというキャラクターが最初に生まれたときのお話をお聞かせください。

眞弓:その前に『ハッピー・タンポポ』というギャグ漫画を学年誌で連載していて、野々タンポポちゃんっていう子と、『あさりちゃん』にも出ている藪小路いばらちゃんのお友達同士の話だったんです。お友達同士というのは、学校とか外でしか接点がないので、毎月話がなかなかできなくて。それで、この二人を姉妹にしてしまったほうが……。

眞弓・眞理子:楽だ、と(笑)。

眞理子:自分たちがあまり外に出て遊んでこなかったから、家の中のことは分かっても、外のことってあまり分からないんですよね。だから、家の中の話にしちゃおうって。だから1978年に『あさりちゃん』って始まってから何年かは一切、外の話がないんですよ。

インタビュアー:家の中なら実体験も盛り込めると?

眞理子:そう。女の子二人でしょ? 姉妹でしょ? 楽なんですよ。

インタビュアー:お二人の関係的には、どちらがあさりちゃんで、どちらがタタミちゃんですか?

眞理子:それはね、本当はないんです。

眞弓:おとなしくてね。おとなしくていい子だったので(笑)。

眞理子:描いていると自分の性格が出るから、あさりも割と最初は内弁慶な感じだったんですけど、それが描いているうちにだんだん変わっていったのね。

眞弓:私たちの手を離れていった。で、そのうち自分がなりたかった理想の子供に変えていったんです。こんなふうになりたい。こんなふうだったら、きっと学校に行くのが楽しいだろうなあって。

インタビュアー:デビュー作の『がんばれ姉子』は「別冊少女コミック」掲載でしたが、学年誌で描くことになったきっかけは何だったんですか?

眞弓:当時まだデビュー半年くらいの新人だったんですが、「小学五年生」でギャグ漫画特集の別冊付録を出すという話が出まして、お話をいただいたのがきっかけです。

眞理子:それまでずっと少女漫画を描いて投稿していたんです。ギャグ漫画として投稿したのは1本だけだったんですけど、それが編集さんの目に留まって、描かないかという話が出たんです。ギャグは全然描けなかったんですけど、描けばうまくなるからって(笑)。それでバレーボールをテーマにしたギャグ漫画を描いたんです。20ページの漫画だったのでストーリーも入っていて、ほとんど今のスタイルと変わらなかったですね。で、それが面白かったから、学年誌のほうで連載しないかって言われて……。

眞弓:そのまま来ちゃった(笑)。

インタビュアー:今は、『あさりちゃん』は「小学二年生」から「小学五年生」まで連載している形ですが、学年ごとに描き分けを意識されている部分はありますか?

眞理子:今はないですね。最初は学年ごとに年代や季節を合わせて描き分けていたんですけれど、そうすると、たとえば5月号を単行本にするときに、こいのぼりが出てくる話がどどどどーっとつながっちゃうような事態になるんです。それがまずいなと思ってからは、そんなに描き分けのことは考えないようになりました。新人の頃は、ずーっとカレンダーを見ながらネタを考えていましたから。年間行事とか今日は何の日とか。

眞弓:行事とか、お祭りとかね。

眞理子:もう、それだけ。で、どうにもならなくなると、書店に行って適当に漫画や週刊誌を買ってきます。

眞弓:だいたい5、6冊。

眞理子:とにかく読む。パラパラと読む。そうすると、今、私はそれだけの時間をロスしたんだから、何とかしなきゃってなるんです。

インタビュアー:ストーリーはお二人で一緒に考えているのでしょうか?

眞理子:新人の頃はお互いにそれぞれ作ってきて、見せ合って決めていました。二人で選んだほうの話を、私が下絵から描き始めるんですけど、そこでよく姉から「表情が違う」ってクレームを入れられていました(笑)。

眞弓:この流れでいくと、この表情はおかしいんじゃないかって。

眞理子:それで、最終的にペン入れは姉がするから、そのときに微妙な表情を変えられたりするんです! そこから「どうして変えるんだ。元に戻せ!」ってケンカしたりしていましたね(笑)。いまはもう、そうならないようにネームの段階でかなりきちんと決めてます。

(中略)

インタビュアー:長く続けられるコツはありますか?

眞弓:考えすぎないことですね。私たちは漫画家になる前は、差別用語とかも知らなかった。何にも知らずにやってきて。で、学年誌に描き始めたときに、ちょっと教えてもらって、そこから徐々に覚えていったから。

眞理子:ネタもいろいろ制限される部分ってありますよね。新人のときはすごく悩んだときもあるんです。あれはしてはいけないんじゃないか、これは駄目なんじゃないかって。でもまあ、そういう時期を越えてきて、今はもう文句が来たって構うもんかって考えているところがありますね(笑)。

インタビュアー:最後に『あさりちゃん』はどこまで続くのでしょうか?

眞弓・眞理子:どこまで続くんでしょうねえ。

眞弓:まあ、今はとにかく、100巻が目標ですかね。ファンレターにもみなさんそう書いてくれてますし。

眞理子:とりあえず、目指せ100巻。

眞弓:ですね。】

参考リンク:『あさりちゃんのへや』(室山まゆみ公式ホームページ)

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 この記事を読んだとき、「ええっ、『あさりちゃん』って、まだ連載続いてたの?」とすごく驚いてしまいました。コミックスも現在89巻まで発売されています。
 『あさりちゃん』の連載がはじまったのは1978年だそうですから、ちょうど僕が小学校に入った時期。おそらく僕はリアルタイムで、連載開始直後の『あさりちゃん』を読んでいたのです。
 当時の学年誌には、男子向けの大スター『ドラえもん』が君臨していて、女子向けっぽい『あさりちゃん』が男子の話題になることはほとんどなかったのですが、あさりちゃんとタタミちゃんの毎月繰り広げられる不毛な姉妹ゲンカは、僕たちに「女って怖いな……」というイメージをかなり植え付けていたような気がします。
 そういえば、当時の学年誌には、やたらとスポーツ万能の女の子が主人公の『うわさの姫子』という漫画も連載されていて、僕たちは、「こんな女子がいるわけない!」と毛嫌いしていたんだよなあ。
 そういう「アウトドア系のヒロイン」が同じ本のなかにいたからこそ、「連載開始から何年間も全然外に出なかった」という『あさりちゃん』の「引きこもりっぷり」が、あまり槍玉に上がらなかったのかもしれませんね。

 それにしても、『ドラえもん』が、作者である藤子・F・不二雄先生が亡くなられたあとも、子供から大人にまで幅広く認知されているのに比べると、連載されていたのが学年誌のみとはいえ、『あさりちゃん』は、「中学生になったら、すっかり忘れてしまう通過儀礼のような漫画」なのでしょうか。誰もがみんな一度は読んだことはあるはずなのに、大人たちのあいだで話題になることはほとんどありません。

 1982年にはテレビ朝日系でアニメ化もされており、僕も

♪あーきれたあのこはあさりちゃん〜

という主題歌の最初の部分を思いだすことができます。
アニメ化がピークで、アニメが終わると人気が落ちていき、終了するというのが一般的な「漫画の一生」なのですけど、『あさりちゃん』の場合は、アニメが終わってからもずっと学年誌で連載が続いているわけです。
同じような内容の繰り返しでも飽きられないのは、読者のほうが次々と入れ替わっていくという「学年誌」だからこそ、なのだとしても。

 そういえば、この「室山まゆみ」は姉妹2人のペンネーム、という話も、以前どこかで聞いたことがあるような気もするんだよなあ。もうすっかり忘れていたけれど。

 ひとつの時代に「子供から大人まで、みんなに愛される」というのもすごいことなのですが、『あさりちゃん』のように、「30年以上もそれぞれの時代の小学生たちに愛され続ける」というのも、かなりの偉業ではないかと思います。
 『あさりちゃん』は、まだまだ現役みたいです。