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2008年11月17日(月)
本物の科学者は「現代の科学では説明できない」とは言わない。

『「科学的」って何だ!』(松井孝典・南伸坊共著/ちくまプリマー新書)より。

(「科学」についての松井孝典さん(惑星科学者・東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)と南伸坊さん(イラストレーター)の対談をまとめた新書の一部です)

【南伸坊:「科学にも限界がある」ということが、昔から言われていますよね。「限界がある」というアナウンスのほうが大きくなって、「現代の科学では解明できない」ってオカルト派得意のフレーズがあります。「そうだよ、科学では解明できない不思議なことってあるんだ」っていう。だからスピリチュアルとかがはやるのは、人々の科学者への対抗心みたいな心理があって、「科学ではわからない世界」という土俵にもっていきたいんです。

松井孝典:それはどうですかね。南さんがおっしゃったこと自体の中に矛盾がありますよ。

南:え? そうですか。

松井:素人の人は残念ながら絶対にその境界に行けないんです。ようするに、「わかる世界」と「わからない世界」の境界は科学者でないとわからないんですよ。ふつうの人には何がわからないのか、具体的にはわからないんです。

南:ああ、はいはい。

松井:「何がわかっていて、何がわからないか」をわかってない限り、わからない世界はわからない。僕はふつうの人からどんなことを訊かれても、たとえわかっていないことでも、わかっているかのように説明しますよ。いくらでも科学的に。でも、ふつうの人には、その説明のどこにまだわからない部分があるかは理解できない。したがって、ふつうの人のあいだで「何がわからない世界か」がわかるわけがない。

南:いや、そうなんですけど(笑)。今みたいに科学的に否定されることへの反発なんです。「現代の科学では解明できない」って、その時の呪文なんです。

松井:プロになって初めて、「わかるって何なのか」がわかるともいえるんですよ。自然に関していえば、わかっている世界とわかっていない世界の境界が、そのプロには明快にわかります。だってその境界のところを毎日毎日考えているのがプロなんですから。

南:そうですね。

松井:じつは、そこに境界があるのがわかるということは、そもそもプロということなんですよ。だから「科学ではわからない」という地平に、一般の人が立てるということ自体がありえないんです。

南:でも、誰か科学者が「いやこれは科学ではわかりません」ということを言ったんじゃないですか。だからこういう言葉が広まった。

松井:すべてに関して「科学的にわかりません」ということはない。どんな場合でも「ここまではわかっているけど、ここから先はわかりません」という言い方をすべきなのに、もし「いっさい科学的にわからない」という科学者がいたとしたら、その人の言葉が足りないんです。科学的インタープリター能力が高くない人、つまり科学者といえども言葉で説明できない人はたくさんいますから。

南:「わかる」ということと「言葉で説明できる」というのは、また別ですもんね。

松井:細かいところを飛ばして「科学的にわからない」と言っちゃう科学者もいるわけですよ。プロの間ではそれでもわかるんです。だけどそれを一般の人に言ったりすると、そういう誤解が生まれてしまう。そこがダメなんですね。

南:ああ、なるほど。

松井:科学者といってもピンからキリまでいるわけです。しかるべき研究者に訊いてくれれば、そんなことはないんですが。私なら「ここまではわかってますよ。ここから先はわかっていません。だけど、こういうふうにすればいずれわかるでしょう」というような言い方をしますが。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この松井先生の話、前半はかなり「わかりにくい」ですよね。僕は何度か読み返して、ようやく理解できたような気がしますが、さて、本当に「わかった」のかどうか……
 南さんが、【今みたいに科学的に否定されることへの反発なんです。「現代の科学では解明できない」って、その時の呪文なんです。】と言い返してしまった気持ちのほうが「よくわかった」のも事実。

 ここで松井先生が仰っておられることは、たしかに正論だと思います。「と学会」が採り上げる「トンデモ本」というのが一時期話題になり、「相対性理論は間違っている!」と叫んでいる「自称天才物理学者」が、「と学会」に嘲笑されていました。

 僕も彼の「アインシュタインは間違っている!」「こんなことに気付かないなんて、現代の物理学者は無能!」という「非科学的な理論」をさんざんバカにしながら紹介記事を読んでいたのですが、物理学に疎い僕にとっては、「彼の理論のどこが間違っているのかは(「と学会」の人たちの解説がなければ)、自力では全くわからない」のですよね本当は。そもそも、「と学会」の人たちの「間違っている理由の科学的な説明」というのも、正確に理解できているのかは怪しいものです。
 それでも、僕はつい、その「わかっていない似非科学者」を嘲笑ってしまう。「と学会」の人たちが嘘をついている可能性だってあるのにね。
 まあ、そこまで言い始めたらキリがなくなってしまうので、結局のところ、発言者の社会的な信用度とかで判断するしかないのでしょうけど。

 患者さんや御家族への病状説明でも、「基本的な医学知識を持たない人(肝臓って1個しかないの?とかいう人)」に病気について、医者が理解しているように「わかってもらう」のは、きわめて難しい。
 実際は、完璧な理解ではなくても、おおまかなところを噛み砕いて説明して「この説明している医者は、少なくとも嘘をついたり、悪いことをしようとする人間ではない」ということだけでも伝わればいいなあ」という感じでお話をすることも多いのです。

 この引用部の後半では、松井先生は、もう少しわかりやすく、
【すべてに関して「科学的にわかりません」ということはない。どんな場合でも「ここまではわかっているけど、ここから先はわかりません」という言い方をすべきなのに、もし「いっさい科学的にわからない」という科学者がいたとしたら、その人の言葉が足りないんです】
と仰っておられます。
 その物事に対して、本当に「科学的に」アプローチしているのならば、たとえ「わからない」場合でも、「ここまではわかっている」「ここからはわからない」という境界を明示することができる、ということのようなのです。逆に、「科学者」というのは、「科学的に」なんていう曖昧な表現を許さない人々だといえるかもしれません。

 もし、あなたが「現代の科学では説明できない」ものを信じさせられようとしたり、売りつけられそうになったりしたときには、こんなふうに言い返すと良いでしょう。
「じゃあ、『どこからが『現代の科学では説明できない』のか教えてください」って。
 まあ、実際はそうやって討論するより、さっさと逃げちゃったほうが手っ取り早いし安全なことが多いので、あまりオススメはできませんが。