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2008年10月25日(土)
『ストリートファイター2』の生みの親が語る「ゲームとその他のエンターテインメントの違い」

『STUDIO VOICE』2008年11月号 Vol.395(INFASパブリケーションズ)の特集記事「非ゲーム・クリエイターのためのゲーム作り入門講座」より。

(『ストリートファイター2』『バイオハザード』の生みの親である岡本吉起さんへの「ゲームの作り方の基本」についてのインタビューの一部です。聞き手・文は古屋蔵人さん)

【インタビュアー:ゲームの企画立案と僕らのような雑誌や書籍媒体の立案、大きな違いはなんでしょうか?

岡本吉起:ゲームとその他のエンターテインメントの違いはインタラクティヴ性ですよ。インタラクティヴであるがゆえの難しさというのは作ったことがないと分からないと思うんですよね。例えば『ドラクエ』(ドラゴンクエスト)をやっててダンジョンに入って行きますよね。大抵のプレイヤーはボスの近くにきたら今きた道を戻ってセーブして、リスクを最小限にするんです。『ドラクエ』だったら例えばやられたってダンジョンのアイテムは全部自分の手元に残るし、お金が半分になるだけなんですよ。だったら行きゃあいいじゃないですか。作り手としては『うわ、MPも減ってるしヤベぇ』という状況でワクワクしてほしいから、セーブポイントからボスまでの距離をとってるのにそこを戻っちゃう! これが難しい。

インタビュアー:企画側が”意図した仕掛け”を予測して、石橋叩かれちゃうんですね。

岡本:そこにドキドキ感はないだろうと。映画だって小説だって徐々に盛り上げてそこからクライマックス、という流れを作るじゃないですか。道筋を選ばれるとこっちが意図した演出や展開を計れないのがゲームの辛さ。一番いいところでもあり、悪いところでもある。それに楽じゃないですよね。映画はソファに座ってポップコーン食べながら観ればいいけど、ゲームはプレイヤーを引き込まないといけない。ボーっとしてても巻き戻せないし、ちょっと目を離したらゲームオーバーになったりするし。それにポップコーン食べながらやったらコントローラーがべとべとしますから。】

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 日本を代表するゲームクリエイターの1人である岡本吉起さんのこの話を読むと、たしかに「ゲームでプレイヤーを楽しませる」というのは、映画や音楽などとはちょっと違う面がありそうです。
 
 僕も『ドラクエ』『ファイナルファンタジー』などのダンジョンでボスの姿が見えたら、とりあえず一度引き返してセーブした後、あらためてなるべくHPやMPを温存しながらボスと勝負をしに行くので、この岡本さんの話には納得してしまいました。

 映画や小説では、「ヒロインを捕らえている敵のボスの目の前で、とりあえず引き返してセーブしに行く」というストーリー展開はまず考えられず、主人公たちはボロボロになった体で「最後の決戦」に赴くわけですが、ゲームでは、そうする人のほうがむしろ少数派です。

 ゲームを作る側とすれば、「なんとかボスに勝てるギリギリのところ」で、プレイヤーがボスと緊張感あふれる戦闘を繰り広げるのがベストのゲームバランスのはずなのです。でも、プレイヤーの立場からすれば、やっぱり死んでしまうのはイヤなものなので、「少しレベル上げをして余裕ができてから」と思いがち。

 それでも、なかには「とにかく行けるところまで行く」というタイプのプレイヤーもいますから、「すべてのプレイヤーが満足するゲームバランス」というのは、まずありえません。

 これを読んであらためて考えてみると、たしかに「プレイヤーが死んでもお金が半分になる」くらいのペナルティであれば、「思い切ってボスに向かっていってもいいじゃないか」という気もしますよね。
 制作側としても、あまり死んだときのペナルティが厳しいと、プレイヤーが消極的になって十分レベル上げをしないと先に進まなくなり、ボス戦での緊張感が無くなるのではないかと危惧して、「死んでもお金が半分になるだけ」というシステムにしたのでしょうし。

 そういえば、『ドラゴンクエスト』で、「プレイヤーが途中でやられてもお金が半分になって城に戻されるだけ」というシステムが採用されたときには、当時のゲーマーたちからは、「なんてヌルいRPGなんだ!」という批判の声がけっこう挙がっていた記憶があります。
 それに比べると、「死んだらセーブしたところからやりなおし」という『ファイナルファンタジー』シリーズは、かなり「厳しい」印象がありますが、昔のRPGでは、むしろこちらのほうが「普通」だったのです。

 「制作側の思い通りに動いてくれないプレイヤー」を楽しませなければならないのですから、ゲームというのは、たしかに「特殊なエンターテインメント」なのかもしれませんね。
 実際にゲームで遊んでいると、作り手のなかでも、その「特殊性」を理解し、うまくプレイヤーの「わがまま」に適応している人は少ないように思えます。
 どんなに映像や音楽が「映画に近い」ものになったとしても、映画とゲームとは「違う」のです。