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2008年09月09日(火)
アイドルタレントのバンジージャンプと視聴者の「まともな想像力」

『私を変えた一言』(原田宗典著・集英社文庫)より。

【或いはやはり昨年末、こんな話を聞いた。
 話してくれたのは友人の長岡毅だった。久々に夕食を共にした折、彼は世間話のついでにこんなことを話し始めたのだった――。
「そういえば一昨日だったかな……テレビでさ、何だかすごい番組をやっていたよ。催眠術でこう……暗示を与えるってやつでさ、ニュージーランドだったかなァ、百四十何メートルっていうとんでもない高さのバンジージャンプがあるわけ。そこへ高所恐怖症のアイドルタレントを呼んで、暗示をかけるんだよ――ほら、円広志の”飛んで飛んで飛んで……”って歌があるだろ? あれを聞くと貴女は飛びたくなるっていう暗示を与えるわけ。それから彼女をバンジージャンプのてっぺんへ連れていって、まず最初にまともな状態で下の眺めを見せるとさ、彼女のうパニックに陥って『いやッ!! いやァ!!』って叫ぶんだな。ところが、例の”飛んで飛んで飛んで……”っていう曲を聞かせると……」
「おい、ちょっと待った。それ、本当の話? 本当にそれ、放映されたの?」
「嘘だろ?」
「嘘じゃないよ。俺、観てて膝が震えたよ。でも、そのアイドルの女の子、”飛んで飛んで飛んで……”って曲を聞くと、急に表情が変わって、『私、飛びたくなってきたみたい』って言って……」
「飛んだの!?」
「飛んだ飛んだ。それで最後、着地してから女の子の暗示を解いてやって……あのテツandトモだっけ、あいつらの”なんでだろー、なんでだろー”って曲をかけて、おちゃらけるんだよ」
「……」
 私は言葉を失った。
 どういう印象を受けたか、あえて多くは語るまい。今、貴方はこの番組の話を聞いて、どう思ったろうか。面白そう、と感じて、観てみたいと思ったろうか――だとしたら貴方は明らかに人間として本来働くべき大切な想像力が欠如している。私は、まず不快感を感じた。いや、ふざけるのはいい。人間にとって、ふざけることは時に重要である――しかし悪ふざけというのはただ人を不快にさせるだけである。長岡が話してくれたこと番組は、明らかに”悪ふざけ”に属するものである。まともな想像力が働く人ならば、まず、その女の子の立場に自分を置いてみて、
「もし自分がそんな暗示をかけられて、百四十メートルの高さからジャンプさせられたら……」
 と考えるだろう。そして悪寒を覚えるだろう。さらに私なんかは、そのアイドルタレントの女の子の親の立場に自分を置いてみて、
「もし自分の娘がこんなことをやらされたら……」
 と考えて、激しい怒りにかられたりもした。こういう私の反応はおかしいだろうか? そんなカタイこと言わないで、ジャンプして無事だったんだから文句ないじゃーん、楽しめばいいじゃーん、と皆思っているのだろうか。そっちの方がマトモなのだろうか。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕もときどきこういう番組を観るのですが、正直、原田さんが書かれているような「不快感」はあまり感じないんですよね。別に「楽しめばいいじゃーん」と思っているわけじゃなくて、「タレントさんも大変だねえ……」と感じるくらいのものです。
 ああいうのって、たぶん、ほとんどの場合が「やらせ」というか「演出」なのでしょうし、「暗示」の効果が実際にあるのかどうかはさておき、バンジージャンプをやるタレントはあらかじめそれを知らされていて、「注目されるためには、このくらいのことはやらなくては」と「覚悟」してやっているのだろうと思っているから。極端な話、そういう「危ない仕事」って、人気絶頂のタレントがやっているのを観たことないですしね。

 でも、ここで原田さんが書かれていることを読んで、僕はそういう「タレントさんが覚悟してやっているんだから良いんじゃない?」という考え方がはたして「マトモ」なのだろうか?と自問せずにはいられませんでした。
 いくら事前に安全を確認し、本人が納得しているとはいえ、積極的に飛びたいと希望しているわけではない人間に140メートルのバンジージャンプをやらせるというのは、「演出」として許される範疇だと決めつけて良いものなのか?
 では、もし140メートルは高すぎるということならば、何メートルなら許容範囲なのか?
 もし、それで事故が起こったとしても「しょうがない」と受け入れられるのか?

 こういう問いは、ある意味「不粋」なものです。
 テレビに出ているすべてのタレントさんたちの立場にいちいち自分を置いていたら、テレビを観ているだけで疲れ果ててしまうでしょうし、逆に、観ている人が「この高さは怖いなあ!」と感じてくれるからこそ、この「暗示の効果」が際立つんですよね。
 もし、暗示にかけられたタレントが普通の平均台を渡ったとしても、そんなの「ふーん」と鼻で笑われてしまうだけでしょう。
 タレントさんだって、「私を心配して番組に抗議するより、驚くか笑ってほしい」と思っているのではないかと。

 しかしながら、確かに、こういう「まともな想像力」って、いまの番組制作者や視聴者からどんどん失われてしまっているものなのかもしれません。 テレビに映っていることだから、全部演出なのだ、嘘なのだ、何が起こってもテレビ局の責任なのだ……

 その一方で、亀田兄弟に対してはテレビ局に抗議の電話が殺到するというのも現実なのですから、視聴者というのは、テレビにどんな「正しさ」を求めているのでしょうか……