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2008年09月07日(日)
『さよなら絶望先生』の久米田康治さんが、Mr.マリックから学んだこと

『このマンガがすごい! SIDE-B』(宝島社)の記事「巻頭大特集・『さよなら絶望先生』久米田康治スペシャルインタビュー!」より。取材・文は前田久さん。

【――まずはマンガ家になられる前のお話から伺っていきたいのですが。

久米田康治:ああ、そんなにさかのぼりますか……できれば話したくもないし、思い出したくもないんですけどねぇ。

――掘り起こしてすいません(笑)。和光大学在学中に漫研に所属されていたそうですが、その前からマンガは描かれていましたか?

久米田:もともと絵を描くのは好きだったんですけど、コマを割ってちゃんとマンガを描いたのは大学3年からですね。和光大学のマンガ研究会は、松本大洋さんがいたり、先輩に『寄生獣』の岩明均さんがいらしたりして、学生の人数の割にはデビュー率が高かったんです。まあ、「美術の先生になるかマンガ家になるしか進路がない」と悪口を言われているような大学だからというのもあるんでしょうけど(笑)。

――先生はマンガの編集者をご希望されていたとか。

久米田:「希望していた」というわけでもないんですよ。就職しなくちゃいけなくなったときに、編集プロダクションの銀杏社の試験を受けたというだけで。それで見事に落ちたわけですが、もしあのとき編集者になっていたら人生違っていたかもしれないですね……。

(中略)

――なるほど。先生のお話に戻していくと、『行け!!南国アイスホッケー部』と掲載時期が重なっているものなど、いくつかの作品を経て、現在の作風に繋がる『かってに改蔵』(以下『改蔵』)が始まりますね。

久米田:『改蔵』は企画が通らなくて苦労しました。でも、特に「やるぞ」という感じで始まらなかったんです。新連載なのに1回目が白黒だったり……。あれ、色は塗ってあったんですけど、何かに負けて白黒で始まったんですよね。そんな調子なので長く続くとも思ってなかったです。「これから人生どうしようか」ってずっと考えていました。

――結果的には単行本26巻まで続く大ヒット作になりましたよね。

久米田:大ヒットではないですよ。ヒットですらないんじゃないかなぁ。

――でも、当時の『週刊少年サンデー』を語る上では外せない作品だと思います。

久米田:いや、外されましたが?(笑)。じゃあ、なんで売れてないんですかね。あんまり数字的に出ないんで。難しいところですよね。

――『改蔵』の衝撃的な最終回は今でもマンガファンの間では語り草です。構想はいつごろからあったのでしょうか?

久米田:連載の割と早い段階からありましたね。尺が長くなっちゃったのでみんなビックリされたかもしれないですけど、あれを単行本の5巻くらいでやっていればみんなそれほど驚かなかったんじゃないですかね。

――それでも十分驚いたと思いますよ。

久米田:もうちょっと早く連載の終わりを伝えてもらっていたらきれいに着地できたんですけど……まあ、いいんじゃないでしょうか。

(中略)

――久米田先生の編集者さんとの関係はどうだったのでしょう。

久米田:今あっちのことはよくわからないですけど、少なくとも僕は担当者とは仲よかったですよ。まあ、僕の担当になった編集者さんたちは、上司と上手くいっていないという共通点がありましたけど(笑)。それより気になるのは「少年サンデー」問題より「ヤングサンデー」休刊の方です。僕の同期もいっぱい描いてますから。たぶん「ジャンプSQ」みたいに新創刊する気がしますけど、描いてるほうはたまったもんじゃないでしょうし。

――『改蔵』の連載終了後、いくつかの読み切りを発表されたのち、「週刊少年マガジン」で『さよなら絶望先生』の連載が始まりますね。活動の場を移されたきっかけは何だったんですか?

久米田:編集者からのお誘いです。僕もこのまま「少年サンデー」で描いていても読者は僕に飽きているだろうし、僕のかわりに『ハヤテ……』が始まって、もういいでしょって感じだったんですよ。ちょうどそんな時に、お話をいただいたので。Mr.マリックが日本で人気がなくなったときにアジアを巡って大もうけをしていたんですけど、あれにヒントを得て、違う土地に行けば、僕のことを知らない人もいるだろうし、同じことをやってもそんなに気付かれないんじゃないかな……という小ズルい考えもありまして(笑)。正直にいえば「拾っていただいた」という感じですね。まだご恩が返せていないので、もうちょっと頑張らないといけません。

――結論としては大正解ですよね。

久米田:まあ、そのままいたよりはよかったのかな……という気はしますけど。

――実際、ファンのリアクションの変化はありましたか?

久米田:どうですかね。手紙とかをくれる方って昔からのコアな読者が多いじゃないですか。なので、ライトな方々にはどう思われているか、気になりますけど、わからないですね。やっぱり「少年マガジン」だと、渋谷の若者とかHIPHOPとかの人も読んでるじゃないですかねえ? 「何だか、載っててすみません」という気持ちですよね。

――いやいや(笑)。『改蔵』中盤以降で確立された「斜めに社会を見る」スタイルがかさらに洗練されたように感じます。

久米田:本当は違うこともやりたいんですけどね。この歳になってみるとなかなかネタの投げ方を変えるのも難しいじゃないですか。できれば変えていきたいとは思っているんですけどね。

――このスタイルが誕生したのはどういったきっかけからでしょう。

久米田:だいたい僕の場合は後ろ向きの理由から出来上がることが多いんですよ。「ギャグマンガで、読み切りで、ページ数が少ない」という条件が先にあると、どうしても表現方法は限られるじゃないですか。「ネタがあっても入りきらない」とか。そうした入らない部分を入れるために箇条書きで羅列する方法を作りましたし、キャラを無理矢理タテに入れるのも、コマが足りないからなんです。コマをちゃんと割ると半ページとか使ってしまうので、コマの上にキャラをのせるんですよ。だから、意図してやっているというより、仕方なくそうなった部分が大きいですね。

――コマを縦に抜くカットは情報量を増やすための策なんですね。デザイン的な観点から見ても、とても洗練されたマンガ技法だと私は思ってます。

久米田:それは、あくまで苦肉の策であって、そんなアーティスティックな考えなんて微塵もないですよ。

(中略)

――「教師が主人公の学園コメディ」という企画に決まったのはどのような流れですか。

久米田:最初講談社からお話をいただいたときは18ページで連載する予定だったんですが、ネームを練っている間に12ページに変更になったんですね。これは『改蔵』のときの16ページよりもさらに4ページも減っているんです。4ページ減るというのは大きくて(苦笑)。当初は「ちょっとしたラブコメで儲けちゃおうかな〜」とか思って、不登校の少女と不下校の少年という出会うはずのない二人が出会う話を考えていたんですが、ページ数が減ったので、ストーリーで行くのがキツくなってしまって。だからキャラを立てて、もっとわかりやすい形にするしかなかったんです。

(中略)

――ところで、『さよなら絶望先生』が評価され、昨年(2007年)は講談社漫画賞を受賞されました。周囲の変化はありましたか?

久米田:特にはないですね。ただ、授賞式の二次会でパーティをやらなくちゃいけない義務があって、そこでなるべく人と会いたくないので生前葬をやったら、ウィキペディアの「生前葬」の項目に名前が載ってしまって、僕のマンガを知らない人に名前が知られるようになったくらいでしょうか。「生前葬」で有名になってもねぇ……。

(中略)

――今後の目標は?

久米田:もう十分ですよ。ただなだらかに消えていきたいって感じです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この久米田康治先生のインタビュー、『このマンガがすごい! SIDE-B』に掲載されているものの一部なのですが、全編こんな調子なんですよね。どこまで本心なのだかよくわからないインタビューではあるのですが、マンガ家としてのスタンスとか、『さよなら絶望先生』の「個性」が生まれた秘密など、かなり興味深い内容でした。

 このなかでも、僕が最も印象に残ったのは、久米田先生が「週刊少年サンデー」から「マガジン」に移籍されたときの話。Mr.マリックが日本でのブームが去ったあと、アジアツアーで荒稼ぎしていたというのも初めて知ったのですが、それをヒントにして、【違う土地に行けば、僕のことを知らない人もいるだろうし、同じことをやってもそんなに気付かれないんじゃないかな……】と考えたというのには思わず苦笑してしまいました。この話、全部本心じゃないかもしれないけど、「まず、環境を変えてみるという発想」は、久米田先生が自分のことを客観的に見ることができていたから出てきたような気がします。
 まあ、単に「週刊少年サンデー」の編集部と仲が悪かったから、なのかもしれませんけど。

 これを読んで僕が疑問い感じたのは、「サンデー」と「マガジン」の読者層というのは、そんなに違うのだろうか?ということ。
 週刊少年マンガ誌は「ジャンプ」と「マガジン」が二大巨頭で、少しランクが下がって「サンデー」「スピリッツ(が「少年誌」であるかは微妙かもしれませんが)」、「チャンピオン」以下は「書店で買っている人を見かけるのが困難」というのが僕のイメージです。「サンデー」を読んでいる人の多くは「ジャンプ」や「マガジン」も読んでいるのではないか、と思っていたのですが、それでも「この2誌の読者の違い」というのはけっこう大きいものなのですね。
 もちろん、マガジンの編集部、担当編集者の尽力というのもあるのでしょうし、作品そのものが洗練されてきた、という面も大きいのでしょう。
 しかしながら、久米田さん自身も「そのままいたよりはよかったのかな……」と仰っておられるように、この「移籍」がプラスになったのは間違いないようです。
 『さよなら絶望先生』が、「週刊少年サンデー」に掲載されていたら……というのは、それはそれで興味深い「if」ではありますが。
 
 多くのマンガ家が、同じような状況に陥ったときに「自分の作品はもう古いのか……」と作風のほうを変えようとして泥沼に陥ってしまうことを考えると、この「Mr.マリック作戦」は、大成功と言えるでしょうし、その一方で、「週刊少年ジャンプ」の悪名高き「専属契約」の力が強かった時代には、行き詰っているにもかかわらず、環境を変えることも許されないまま消えていったマンガ家もたくさんいたのだろうと思われます。
 いまの時代でも、「移籍」というのはそんなに簡単なことではないみたいですしね。

 あと、『さよなら絶望先生』のストーリーやカット割りが、「12ページではストーリーものはつらい」「連載前にページ数を減らされたため、1ページあたりの情報量を増やそうとした」というような「ネガティブな理由」から生まれたものだというのも面白かったです。僕としては、「不登校の少女と不下校の少年という出会うはずのない二人が出会う話」を読んでみたかったような気もするのですけど。