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2008年06月27日(金)
「ペレストロイカ」と「日本食」

『旅行者の朝食』(米原万里著・文春文庫)より。

(「未知の食べ物」という項の一部です)

【そういえば、ロシアからやって来た要人に通訳として同行した際、知らず知らずのうちに観察していたことがある。そして彼らの食べ方と生き方や性格のあいだに一定の規則性があることに気付いたのだ。
 和食には、多くのロシア人にとって生まれてこのかた初めて口にするものが多い。とくに日常的に魚介類をほとんど食さない内陸部からやって来た人々にとって、刺身や鮨や烏賊などは、かなり勇気の要る挑戦である。食べ物は、自分の体内にと取り込むものであるから、初めて目にする食べ物を摂取するかどうかは、その人の無意識の素が出る。その人の好奇心と警戒心のあいだのバランス感覚のようなものが露呈してしまうのだ。未知のものに対してどれだけ心が開かれているかというリトマス試験紙のような役割を果たしてくれるとも言える。

 果たして、ペレストロイカが開始した頃、ソ連邦共産党政治局でゴルバチョフの右腕と目され、改革推進派には保守派の頭目と非難されていたリガチョフ政治局員は、刺身や鮨はおろか、フランス料理にはしばしば登場する牡蠣も烏貝(からすがい)もダメで、魚介類は火を通したものさえ一切受け付けなかった。もちろん天ぷらもお断り。では、しゃぶしゃぶやすき焼きならばとホスト側が誘ったものの、和食は駄目の一点張りで、滞日中は無難なフランス料理で押し通した。
 ペレストロイカを推し進めつつ左右のバランス取りに心血注いだゴルバチョフ元大統領も、刺身、鮨には拒絶反応を示した。ちょっとだけ味見することもしない。でも、天ぷらや火を通した魚介類、それにしゃぶしゃぶ、すき焼きは大歓迎だった。
 改革の最左翼を通り越して、ついにソ連邦崩壊のブルドーザー役を果たしたエリツィンはというと、出される食べ物、何から何まで興味を持って口にし、美味しそうに平らげてくれた。もちろん、刺身も鮨もみそ汁も納豆も雀の焼き鳥も、面白がって次々と変わった食べ物を出してみるホスト側があきれ返るほどに、どんなものでも顔色一つ変えずに食べてくれる。
 たまたま、三人の場合は、未知の食べ物に対する許容度と政治的革新度が、面白いほど正比例してしまったが、もちろん、世の中には、保守的な食生活をおくる革命家もいるだろうし、ゲテモノ食いの保守政治家もいるだろう。しかし、それでも、その人が本質的に保守的か革新的かを占うには、未知の食べ物への対し方を見る方が血液型よりはるかに当てになる気がする。】

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 この話はあまりにも「正比例しすぎている」ような印象もありますが、僕も「未知の食べ物に対する許容度」というのは、その人の「好奇心と警戒心のバランス」をある程度反映していうのではないかと思います。

 僕は外食の際には、基本的に「いつも同じようなもの」をオーダーしてしまうのですが、「新メニュー」とか、「ちょっと聞いたことがないようなメニュー」を見つけると、注文せずにはいられない人っていますよね。
 僕からすれば、「そんな得体の知れないものを頼んで、もし不味かったらどうするの?」という感じなのですが、「新メニュー好き」は、僕に対して「いつもスタンダードなものばかり食べていて、よく飽きないね」と思っているわけです。
 たしかに、そう言われてみれば、「新メニューや新しい店にどんどん挑戦する人」というのは、物事に対して積極的で、好奇心旺盛、開放的な人が多いような気がします。「飽きっぽい」という面もありそうですけど、僕はそういう人が、ちょっと羨ましくもあるんですよね。でも、今日は何か違うものを頼もう、と思いながら店に入っても、やっぱり「いつものメニュー」を頼んでしまうんだよなあ。
 それはそれで、ひとつの「用心深さ」のあらわれであり、生き延びるためには悪い面ばかりじゃないのかもしれませんが。
 
 それにしても、日本人の感覚からすれば、外交の席で相手国の食べ物を勧められた場合、「これはちょっと食べたくないな……」というものでも、暗殺されそうな国でないかぎり、とりあえず少しは口に入れるのではないかと思ってしまうのですが、実際はそうでもないんですね。
 この米原さんの文章を読んでみると、日本に来てもフランス料理ばかり食べていたリガチョフ氏は、「食べ物に対して頑なで保守的」であったけれども、「無礼」だということにはなっていませんし。

 統計的調査が行われたり、明確な科学的な根拠があったりするものではないのですが、誰かのことをよく知ろうとするのなら、「一緒に食事をしてみる」のは良策だと思います。食べ物の好みがあまりにも違う人と一緒に生活していくのは、かなり辛いことみたいですしね。