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2008年04月16日(水)
「たまちゃんのお父さん」からの「最後のプレゼント」

『ももこの21世紀日記 N’04』 (さくらももこ著・幻冬舎文庫)より。

(2004年、さくらさんが親友・たまちゃんと15年ぶりに会ったときのエピソードです)

【たまちゃんが、アメリカに帰る前に、また東京に来てくれた。それで、大変なものを私にくれた。それは何かというと、たまちゃんのお父さんのライカのカメラをくれたのである。たまちゃんのお父さんは、数年前に亡くなったのだが、その遺品の中から、たまちゃんと御家族の皆さんが「やっぱり、ももちゃんにはライカのカメラだよね」と選んでくれたのだ。たまちゃんの家族にとっても、いっぱい思い出のある大切なカメラなのに、私がもらってしまっていいのだろうか……と思ったのだが、たまちゃんは「うちのお父さん、ももちゃんが描いてくれた事をすごく喜んでいたから、ライカのカメラをももちゃんにもらってもらえる事もすごく喜んでいると思うよ」と言ってくれた。胸がじーーんとした。たまちゃんのお父さんのライカのカメラ、ずっと大事に飾っておくよ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕もこの話をよんで、胸がじーんとしてしまいました。もちろん僕はさくらさんにも「たまちゃんのお父さん」にも直接の面識はないのですけど、たまちゃん一家の「感謝の気持ち」が、この贈り物に込められているのがものすごく伝わってきたので。

 あたりまえの話ではあるのですが、『ちびまる子ちゃん』の中ではずっと変わらず、優しくたまちゃんとまる子を見守ってくれている「たまちゃんのお父さん」も、現実では確実に年を取っていってしまっていたのです。
 もうこの世に存在しない人が、漫画やテレビの中で、ずっと昔と同じ姿で生き続けているというのは、考えてみればすごく不思議な話ですよね。
 『ちびまる子ちゃん』に出てくる、たまちゃんをはじめとする「登場人物」たちは、どんな気持ちであの「国民的人気マンガ」を読んでいたのか、もしかしたら、「人の話で金稼ぎやがって!」なんて怒ったりしている人もいるのではないか、なんてひねくれたことも僕は想像してしまうのです。
 一時期、『ちびまる子ちゃん』のキャラクターのモデルになった人たちの「実物」がいろいろなメディアでとりあげられていましたが、まる子の親友だった「たまちゃん」はほとんど表に出ることがなく、もしかしたら、何か気まずい関係になるようなことがあったのかな……などと勝手に思い込んだりもしていたのですよね。

 このとき、さくらももこさんと「たまちゃん」は15年ぶりの再会だったそうですから、あの「ちびまる子ちゃんで描かれている時代」以降は、さくらさんと「たまちゃんのお父さん」は、そんなに頻繁に交流していたわけではないと思われます。
 それでも、たまちゃんとその家族は、お父さんがあんなに大切にしていたライカのカメラ(ライカM3、という機種だそうです)を「遺品」としてさくらさんに贈ることに決めたのです。

 たぶん、「たまちゃんのお父さん」は、もし娘が後の「さくらももこ」の友達でなければ、「ごく普通の優しいカメラ好きのお父さん」として、穏やかな一生を過ごしたはずです。もちろん、それはそれで素晴らしい人生だと僕も思います。
 ちょっとした偶然で「たまちゃんのお父さん」の姿は、多くの人々に知られ、今も愛され続けているのです。僕も「ああいうお父さんっていいよなあ」と同性ながら感じますし、あのお父さんなら、自分がああやってマンガのモデルにされているのを、かなり照れながらも喜ばれていたんじゃないかという気がします。
 そういえば、『ちびまる子ちゃん』で描かれている時代の「たまちゃんのお父さん」よりも、今の僕のほうが年上なんだよなあ。

 本当に、人生って不思議なものですね。
 「たまちゃんのお父さん」のライカのカメラを見ていたときの子供時代のまる子は、そのカメラがこうして「形見」として自分の手元にやってくるなんて、想像もしていなかっただろうから。