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2008年01月09日(水)
「三億円事件」が、マスコミを変えた。

『爆笑問題 ニッポンの犯罪12選〜日本史原論犯罪史編』(爆笑問題著・幻冬舎文庫)より。

(巻末の唐沢俊一さんの「解説」の一部です)

【戦後史年表を見てみるといい。それはあたかも犯罪とスキャンダルの年表と言ってもいいくらいだ。不思議なことに、内閣の改造とか、国際政治の動きなどのニュースよりも、犯罪事件の方がよっぽど、その”時代”の空気をストレートに伝えてくれる。戦後の混乱期を一事をもって表すとしたら、やはり帝銀事件を措いて他にはないだろうし、高度経済成長時代の裏面をイメージさせるのに、三億円事件より適当な事例があるとは思えない。同様に、二十世紀末をわれわれはオウム真理教のテロや酒鬼薔薇事件を通じて記録しているし、インターネット社会、という言葉を聞けば、即座に自殺サイトや依頼殺人事件のいくつかが頭に浮かぶ。時代のイメージは犯罪によって表現され、人々に認識されると言っていいかもしれない。
 最大の例がチン切りで有名な阿部定事件だろう。ニ・ニ六事件で社会が騒然とし、世情に人々が不安を抱いているときに起った阿部定の情人殺害、下腹部切断事件は、奇妙なことに、民衆に、この暗いムードを吹き飛ばす救いの神のようにもてはやされた。事件があった待合宿では、定の泊まった部屋を、その時の様子を再現して展示し、定と被害者の写真を飾り、見物客を入れて見料をとった。定が逮捕された旅館では、主人が客にその逮捕のときの模様を講釈のように語って喝采を受けた。当時のマスコミには、彼女のことを”世直し大明神”と呼んだものまである。確かに定の行動には、自分の恋情のおもむくまま、自由に生きたという側面はあるが、仮にも殺人犯である女性を、どうして世間はここまで喝采をもって迎えたのか。
 あるいは、三億円事件である。あの事件で奪われた被害実額が2億9430万7500円。これをマスコミは”憎しみのない犯罪”と呼んだ。事実、あの犯人は、そのスマートでスピーディな犯行で、暮れかけてきた高度経済成長期のアンニュイの中、いっときなりともわれわれのテンションを上げてくれるカンフル剤の役割を果たしてくれた。まさに現代のネズミ小僧次郎吉である。この事件は新聞や雑誌の売り上げ倍増、テレビの報道番組の視聴率アップなど、さまざまな経済効果を生み、また、奪われた金が東芝の府中工場従業員のボーナスだった(外資系の保険がかかっていたため、翌日には全員にボーナスが支払われた)ことから、銀行のオンライン化がその後促進されることになるなど、社会が今の形になっていく、大きなきっかけになった。犯罪が社会を変えていくのである。
 それにしても、犯罪者は人気がある。こういうと語弊があるが、われわれは世間をアッと言わせた犯罪者に、ある種のあこがれを抱く。これは確かな事実である。いまだ記憶に新しいだろうが、2004年、体形が太めであることをからかわれて腹を立て、クラスメートをカッターナイフで刺殺した長崎の小学6年生女子は、ネットでその本人と思われる写真が流出、着ていたシャツから”ネバダたん”という愛称で呼ばれ、犯罪史上最も可愛い犯人と称されて、”ネバダたんハアハア”という言葉が流行するなど、一躍アイドル化した。これを単なるネット人種の悪趣味、ととらえると、事の本質を見失う。】

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 あまり認めたくないことではあるのですが、確かに、みんな「犯罪や犯罪者がけっこう好き」なのかもしれないなあ、と僕も思います。いや、「好き」じゃないのだとしても「気になる」のは間違いないですよね。
 阿部定が”世直し大明神”なんて呼ばれていたというのは、正直「どんな時代なんだそれは……」と理解不能なのですけど、その異常な事件の現場を見てみたい、という当時の人々の気持ちは僕も少しわかるような気もします。
 それにしても、戦後の高度経済成長期のテレビや新聞といったメディアの「商業的な発展」に、ここまで「三億円事件」が貢献していたというのは、これを読んではじめて知りました。真相が不明でさまざまな憶測が取り沙汰された「三億円事件」に対する報道合戦で売り上げを伸ばしたということは、その後のメディアの方向性に大きな影響を与えているようにも思われます。少なくとも「そういう視聴者の『覗き見趣味』を煽るような記事や番組のほうが、公正かつ簡潔な報道よりも売れるし視聴率を稼げる」ことを経験してしまうと、なかなか「初心に帰る」ことは難しいのではないかと。理想は理想として、「売れないと食べていけない」のは、マスコミだって同じでしょうから。
 そして、この事実は「そういう『報道』を求めている視聴者が多いのだから、その希望に沿って『知る権利』を満足させてあげるのがメディアの使命なのだ」という大義名分にもなるんですよね。結局、視聴者が「下世話でスキャンダラスな取り上げ方」に興味を示さなければ、そんな番組は淘汰されてしまうはずなのです。
 
 「ネットで騒いでいる人たちは気持ち悪い」とは言うけれど、”ネバダたんハアハア”こそが、誰も知り合いが見ていない場所での「視聴者の本音」なのかもしれません。僕自身は、そういうのを「人間の本質だからしょうがない」というふうに悟ってしまうのは、あまりに情けないとも思うんですけど、そういえば『グリコ・森永事件』のときは、あの「かい人21面相」の脅迫状が新聞に載るのを、けっこう楽しみにしていたんですよね……