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2007年11月01日(木)
「動かないアニメーション」だった『鉄腕アトム』

『アニメ作家としての手塚治虫〜その軌跡と本質』(津堅信之著・NTT出版)より。

(日本初の本格的テレビアニメシリーズ作品である『鉄腕アトム』のアニメーションとしての技術的な側面)

【さて、『アトム』成立に関係する虫プロサイドの動きとして、もうひとつ重要なのは、毎週1回30分の作品を送り出すための、さまざまな技術開発である。すなわと、東映動画に代表される同業者から、電気紙芝居のような動かないアニメーションを「ひとりとして評価する者はいなかった(大塚康生『日本のアニメに期待すること』より)」とまで酷評された、さまざまな省力化手法の開発にあたっての動きである。
 これについては、山本暎一が『虫プロ興亡記』で、次のように詳しく説明されている。


(1)3コマ撮り:なめらかに動かしたいときでも、1枚の動画を、従来のように1コマ撮りや2コマ撮りせず、3コマ撮りで撮る。

(2)トメ:なにかを見ているキャラクターの顔のアップなど、動かさなくてもそうおかしくないものは、トメ画にしてしまい、動画1枚ですむようにする。

(3)引きセル:人物がバストショット(筆者注・人物の胸から上を撮影すること)でフレームインするとか、車がよぎるといった、キャラクターが一方の面だけをこちらにむけ、あまり動きのない場合は、動画1枚にし、そのセルをずらしながら撮影して感じをだす。

(4)くりかえし:歩いたり走ったりするキャラクターの動きは、フレームの1ヵ所でくりかえしの動画にして、背景のほうをスライドさせる。こうすると、いくら長くキャラクターが歩いたり走ったりしても、動画枚数は6枚から12枚ですむ。

(5)部分:人物が腕をふりあげる。といった場合、本来は全身を動かすのだが、顔とからだはトメにし、腕だけを部分的に動かす。

(6)口パク:セリフをしゃべる演技は、顔をトメにし、口だけ、(5)の応用で、部分的に動かす。しゃべるときの口のかたちは、本来、いろいろあるが、閉じたのと、大きく開いたのと、中間のと、3種類だけにし、3コマ撮りでランダムにくりかえす。これだと、動画が4枚あれば、いくらでも長ゼリフが可能になる。

(7)兼用:同じ動画を何カットにも兼用する・似たような演技なら兼用でまにあわせてしまい、演技のデリケートなちがいなど無視する。

(8)ショート・カット:ワンカットが長いと、キャラクターをいろいろ動かさないといけないので、短いカットにする。また、前項までのようなチャチな動きでは、ワンカットを長くもたせられないので、その点でも短いほうがいい。

 やや専門的な内容も含まれているが、(1)にある「3コマ撮り」とは、ディズニーやディズニーを手本とした東映動画をはじめとする「国際標準」が1秒あたり24枚(1コマ撮り)か12枚(2コマ撮り)の絵を使用していたところ、1秒あたり8枚(もしくはそれ以下)の絵を使用したという意味である。つまり、映画用のフィルムは1秒あたり24コマであるため、3コマで1枚の絵を使用するという計算になり、「絵が動いて見える」ギリギリのラインと計算したようであるが、かなり荒い動きに見えたことは間違いない。また、たびたび使用されるフルアニメーションとリミテッドアニメーションという語の意味であるが、(6)にある「口パク」のように、喋る時に口だけパクパク動かすといった限定的な動き(リミテッドアニメーション)に対して、全身を豊かに動かす方法がフルアニメーションである。(ときどき1コマ撮りまたは2コマ撮りのことを「フルアニメーション」と呼ばれることがあるが、これは本来の意味からすると誤りである)
 こうした「省力化」の結果として、『アトム』は1話20数分に使用する動画枚数は1500〜1800枚に収まることになった。これは、当時の東映動画が制作していた長編アニメーションに比べると、10分の1以下の枚数である。しかも、話数を重ねると、(7)にあるように、兼用できる動画のストックが増えてきて(これは後に「バンク・システム」と呼ばれるようになり、多くの後続のアニメスタジオが多用した)、1話にあたって新規に描く動画枚数はますます減っていったという。
 ここで押さえておきたいのは、こうした省力化手法がどの程度「画期的」なものだったのかという点である。確かに、当時長編アニメを主体に制作していた東映動画の作品は、ディスニースタイルに近いフルアニメーションで制作していた。そうした従来のメジャー作品に比較して、あまりにも「動かない」アニメであったため、同業者はおろか、虫プロ内部のスタッフでさえ、当初は呆れながら作業することもあったようである。】

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 僕は「日本初の本格的テレビアニメシリーズ作品」として放映された、白黒の『鉄腕アトム』をリアルタイムで観ていた世代ではないのですが、この内容にはかなり唖然としてしまいました。
 「日本のテレビアニメの先駆者としての『鉄腕アトム』」として、半ば「神格化」されているこの作品を支えていたのが、こんな「手抜き作業」だったなんて!
 もちろん、当時の日本の技術や毎週20数分というスケジュールを考えると、こういう「効率化」も致し方ない面はあると思います。とはいえ、「伝説の名作」が、【あまりにも「動かない」アニメであったため、同業者はおろか、虫プロ内部のスタッフでさえ、当初は呆れながら作業することもあったようである。】なんて話を聞かされると、やっぱり興醒めしてしまいますよね。『鉄腕アトム』は、日本のテレビアニメの良く言えば「効率化」、悪く言えば「手抜き」の先駆者でもあったわけです。
 このような『アトム』の制作姿勢に関して、「キャラクターの動きこそがアニメの魅力であり、価値なのだ」と考えていた人たちは、強い嫌悪感を抱いていたようです。

 この本のなかで、著者の津堅信之さんは、手塚治虫さんの没後に掲載された、宮崎駿監督のインタビューの一部を引用しておられます。

【「アニメーションに対して彼(手塚治虫)がやったことは何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います」
「昭和38年に彼は、1本50万円という安価で日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を始めました。その前例のおかげで、以来アニメの製作費が常に低いという弊害が生まれました。それ自体は不幸なはじまりではあったけれど、日本が経済成長を遂げていく過程でテレビアニメーションはいつか始まる運命にあったと思います。引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけです。ただ、あの時彼がやらなければあと2、3年は遅れたかもしれない。そしたら、ぼくはもう少し腰を据えて昔のやり方の長編アニメーションの現場でやることができたと思うんです」】

 このインタビュー、僕はリアルタイムで読んだ記憶があるのですが、宮崎駿監督のこの発言は「正論」なのか「死者への冒涜」なのか、当時はすごい話題になったものです。僕は正直、こういう「死者に鞭打つ」のって感じ悪いなあ、と思っていました。
 でも、この「鉄腕アトム方式」のおかげで、「本当にキャラクターが動くアニメーション」を作ることができず、週1回、30分枠でのやっつけ仕事をやるのが「当然のこと」だとみなされるようになってしまったアニメ職人たちにとっては、「日本初のテレビアニメシリーズ作品」が『鉄腕アトム』であったことは、まさに悲劇だったのです。
 あんなのを「基準」にされちゃたまらない、と彼らはずっと嘆いていたはず。

 アニメ『鉄腕アトム』は、間違いなく「歴史的な作品」ですし、「日本のアニメーションを変えた作品」です。
 しかしながら、『鉄腕アトム』は、少なくとも当時の「理想のアニメを目指していた人々」にとって、「理想の作品」ではなかったのです。
 もしこういう妥協がなければ、日本のアニメーションはどうなっていたのか? 
 もっと素晴らしい作品がたくさん生まれていたのかもしれないし、儲からないために誰も見向きもしなくなり、「絶滅」してしまっていたかもしれません。それは、たぶん誰にもわからないことです。
 
 僕は、「『鉄腕アトム』って昔のアニメだからこんな荒い動きで当然だよな」って思いこんでいたけれど、当時の人たちは、いったいどう感じていたのでしょうか?
 素直に「動くだけですごい!」って思っていたのかな……