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2007年09月30日(日)
「頭のいい人」と接することの価値

『らも〜中島らもとの三十五年』(中島美代子著・集英社)より。

【私は、頭のいい人が大好きだ。頭のいい人というと誤解を招くかもしれないが、一所懸命勉強して知識を得たいと望む人、努力する人。そういう人をガリ勉と揶揄するのは間違いで、努力する人はやっぱりえらい。だって、人は知らないことは知りたいと思うから。知ることはとても素晴らしいことで、世界がうんと広がる。
 らもが亡くなったあと、私と暮らすようになった母は、最近、よく言う。
「あんた、学校に行っているときは賢いと思わなかったけれど、今、こうやってしゃべっていたらものすごい賢いねぇ」
「らもとしゃべってたから、私のIQが上がったんだよ」
 私は、にっこり笑ってそう教えてあげる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 故・中島らもさんの夫人・美代子さんは、著書のなかで、こんなふうに「頭がいい人と付き合うことの魅力」を語っておられます。

 僕は基本的に「頭がいい人」というのがどうも苦手なのです。彼らは自分の知識を相手を見ずにひけらかし、他人の「知識のなさ」をバカにし、僕のコンプレックスを刺激する存在だという気がしてなりません。つい、「すごいなあ、と思いつつも避けてしまう」というような付き合い方をしてしまいがち。
 でも、この美代子夫人の言葉を読んでみて、自分にいびつなプライドやこだわりがなければ、「頭がいい人」と付き合うというのは、それだけですごく自分を高めてくれることなのかもしれないな、と思えてきました。そういう意味では、「偏差値の高い有名大学へ行くこと」などにも、そういう「すごい人」と接する機会が増えるという点で、少なからぬ価値があるのでしょう。いや、偏差値=頭の良さ、ではないのかもしれないし、らもさんの場合は「頭がいい」だけではなく、(さまざまな問題はあったにせよ)「面白い人」だったというのも大きいような気はしますが。
 
 逆に、「ただ一緒にいるだけで、周りの人も賢くなってしまうような人」というのが、本当の「頭のいい人」なのかもしれませんね。だからこそ、「本当に頭のいい人」は、周りに人が集まってくるのだろうな、と思います。