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2007年07月03日(火)
「記録すること」を趣味にしている人々

『週刊SPA!2007/4/17日号』(扶桑社)の特集記事「極貧でも趣味に生きる人々」より。

(「TVで放映される映画を全部観てノートに記録していく」というのが趣味の山下幸雄さん(仮名・35歳・フリーター・年収約200万円)の話)

【「放映される映画を全部観たらどうなるのかなぁって。単純にそれだけなんですけど……」
 山下さんは、'99年10月以降、地上波で放送される映画をすべて観るという目標を自らに課し、そのつど放送日やタイトル、監督などをノートにつけてきた理由をこう説明する。ちなみにこのノート、よく見ると、観た映画の評価や感想が書かれていない。
「内容がつまらなかったりすると真剣に観ないこともあるので、とりあえず観たという記録だけ書いておこうって……」
 ブログで記録を公開するわけでも、他人と語り合うわけでもない。ちなみに、タイトルの下に引かれた赤い線に意味はあるのだろうか。
「それは放映された回数です。再放送されるたびに赤線を1本足していくっていう具合で、どれくらいの確率でこの映画を放送しているのかなって……」
 ということは、同じ映画が再放送されれば何回でも観る?
「必ずってわけでもないですけど、観たらリストに記入します」
 それにしても、ここまで細かくチェックしていたら旅行にも行けないのでは?
「ああ、それは仕方がないと思ってます……」って、あの〜山下さん? すべての映画を観るというより、ノートを埋めることが目的になってません?
「そんなこと、ないですよ。観れないときはビデオに録って、ゴッチャにならないように別の”まだ観てないリスト”を作ってますし」
 部屋の片隅に、うずたかく積み上げられた”まだ観てない”テープが50本以上はある。
「最近はバイトが忙しくって、ビデオが溜まる一方なんです。正直これ、どうしようかなって……」
 もはや趣味というより、ノルマになってしまっている?】

〜〜〜〜〜〜〜

 いや、これはもうすでに「趣味というよりノルマ」なのでしょうし、この記事を書いた人は、「ムダで無意味なことやってるなあコイツ……」と呆れているのでしょうね。こうしてインターネットに書くことを趣味にしている僕としては、こういうのを読むと「そんな面白そうなネタを持っているのなら、ブログをやればいいのに」などと、つい考えてしまうんですけどね。

 『SPA!』のこの記事には、山下さん(仮名)の「記録ノート」の写真も掲載されていてるのですが、手書きで非常に小さな字でびっしりと埋められていて、確かにこれは「ノートを埋めることが目的」なのかもしれないな、と僕も感じました。

 しかし、世の中にはこういう「記録することにこだわる人々」って、けっして少なくないんですよね。僕の先輩には『ダービースタリオン』での愛馬すべての成績をちゃんと専用のシートを作って手書きで記録していた人がいましたし、同級生には、撮った写真のすべてをちゃんとアルバムに並べて1枚1枚にコメントをつけている人もいました。
 考えてみれば、ダビスタの愛馬の成績なんて、やっている本人以外にはほとんど価値がないものですし、そんな莫大な数の写真、実際は(撮った本人も含め)誰も見ないのに。まあ、僕みたいに「そんなことしても1円にもならないし……」なんてことをすぐに言い出すズボラな人間は、「家計簿をちゃんとつければ1000円くらいの節約になる」としても絶対にやらないんですけどね。

 ところが、実は、こういう「記録したがる人々」というのは、意外なところで研究者たちに「貢献」しているのです。僕は以前、こんな話を聞いたことがあります。
 江戸時代に江戸から京都に行ったある旅人がこういう「記録したがる人」で、彼は、道中で買ったもの、食べたものの値段や泊まった宿の料金を詳細に記録していたそうなのです。そして、その旅人の記録は、後世の歴史・文化史の研究者にとっては、まさに「貴重な資料の宝庫」として珍重されることになりました。

 公文書にには、大きな城を建てるのにかかった費用は残されていても、饅頭の値段や渡し舟の料金は記録されていませんから、「普通の人々の日常生活」を知るというのは、後世の人間にとっては、かなり難しいことなのです。そんな「当たり前のこと」をわざわざ記録しようなんて酔狂な人間というのはあんまりいませんし。「1000年前の歴史上の大きな事件」はよく知られいても、「100年前の人々の日常生活」に関してはけっこう知られていなかったりもするんですよね。

 というわけで、この「TVで放送された映画の記録」も、ちゃんとした形にして遺しておけば、後世のテレビ文化史の研究者にものすごく感謝されるかもしれません。やっている本人が生きている間に、なんらかのメリットがあるかどうかはさておき。