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2007年06月20日(水)
「それでも彼女は、母親・上野比名子という役を死ぬまで演じ切った」

「日経エンタテインメント!2007.6月号」(日経BP社)の上野樹里さんのインタビュー記事より(波多野絵里・文)。

【「楽しませたい」「与えたい」「表現したい」という強い気持ちを抱く上野。周りの人にも自分にとってもプラスとなる仕事を続けていきたいという。まだ20歳という若さの彼女が、なぜそんな強い気持ちを持っているのだろうか。その思いの源は、上野が中学生のときに亡くなった母の姿にあると言う。

上野樹里「母親は、私が中学2年生のときに亡くなったのですが、彼女は働けなかったんですよ、いろいろ大変な苦労があって。多分、そんな母親の姿を見ていたから、自分は女でも、働くことはやめられないですね。働かなきゃならないっていうのもあるけど――この仕事って、どんなことでも表現に変えて発散することができてしまうんです。しかもそれで、自分も元気になれるし、人にも共感を与えることができる。
 …お母さんには、表現する場がなかったんです。つらくても、そんな顔を子どもには見せられないし、親にも迷惑かけられない。それでも彼女は、母親・上野比名子という役を死ぬまで演じ切った。それに比べたら私なんて、本当に、いろいろな役をやらせてもらっている。すごく恵まれているんです。うまく説明できないんですけど…、この仕事をやっててよかったなと思います。ずっと続けていきたいなと思っています」】

参考リンク:日刊スポーツのインタビュー記事「日曜日のヒロイン」の上野樹里さんの回('05/6/26)

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 お母さんを「彼女」と呼ぶ上野樹里さん。このインタビュー記事を読んでいると、彼女が21歳という年齢やルックス以上に「大人の女性」なのだな、と思わずにはいられません。
 上野さんは、お母さんに対して、「表現したくても、それを実現する場がなかった」と感じていて、その一方で、「彼女は、母親・上野比名子という役を死ぬまで演じ切った」とも発言しています。

 僕は自分が大人と呼ばれる年齢になってみて初めて「ああ、僕が子供の頃の両親は、僕が当時思っていたほど『大人』じゃなかったのに、一生懸命『親』としてがんばってくれたのだな」ということがわかったのですが、子供というのは、概して「親」とか「大人」に対する期待値が高いというか「大人なんだから我慢して当たり前」みたいなことを平気で考えているものなんですよね。
 ですから、20歳そこそこで、「お母さんは母親を演じ続けてきたのだから」と語る上野さんにすごく意外な気がしたのです。役者としての彼女は、コメディでの「元気で面白い女性」の役が多いのですけど、内心ではこんなことを考えながら、プロとしてがんばってきたのだなあ、と。

 でも、こうしてみんなが「母親」や「父親」や「だれそれの子供」や「自分らしい自分」を演じながら生きていると思うと、「本当の自分」って、いったい何なのだろうなあ、と悩んでしまいますよね。人はみな役者であり、どのくらいの役を演じ分けているかどうかだけが違う、ということなのでしょうか……